【徳川家総合】 徳川家康公スレ その22
- 1 人間七七四年
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徳川家・松平家とその家臣団まで包括する総合スレです。
炎上して無い関連スレは、過疎回避にこちらへ誘導願います。
【辞世の句】
嬉やと 再び醒めて 一眠り
浮世の夢は 暁の空
先に行く 後に残るも 同じこと
連れて行けぬを 別れとぞ思う
前スレ
【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その21(c)2ch.net
- 9 人間七七四年
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>>1
乙
何でもいいが、伸ばしまくって放置しておいて
他人が建ててくれたスレで構わずレス続けるなよ
- 10 人間七七四年
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>>1
乙です
豊臣信者はマナーが無いからね仕方ないね
- 22 人間七七四年
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>秀頼は関白にはならなかったが
ならなかったらそれまでだろw
相変わらず豊臣信者はアホだな
- 23 人間七七四年
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>>22
昇進の仕方と摂関家ってだけでずいぶん違うけどね。関白になるとアウトになるからその前に難癖をつけて殺したってこと
秀頼は左大臣の辞令でてるし、関白直前だったから焦ったのだろう だから恥ずかしい難癖をつけてなんでまでケンカをふっかけたと
家康は逆賊
- 103 人間七七四年
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関東を左遷といいはる馬鹿がまだいたのか。
左遷ならなぜ家康は江戸に幕府開いているんだよ。
家康が関東移動を嫌がった文書があるなら示せ。
関東は当時からわりと豊かな地域だぞ。
- 109 人間七七四年
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>>103
関東には化物が出る
天皇や公家たちは本気でそう思っていた
関東にはアイヌ人が跋扈していし、虚ダイナ火山もあるし、水もわるいしで、あながち間違った考えてはなかった
- 111 人間七七四年
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>>109
武家にとっては関東は憧れの地なんだよ。
家康は自立したら信長と同盟を組最初から東進してただろ?
- 117 人間七七四年
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定説とあまりに違う事を言ってもな
寿命が残り少なく自身の名声に傷がつくことを恐れぬ所業が目立つ
家康だが、彼の選択通り罵倒してやるのも後世の人間の務め
- 121 人間七七四年
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>>117
いや、負け戦をした秀吉が関白に就任し、関白の地位を使って家康を従属させたことは定説だろ
天皇の代理人である関白は天皇の代理人にすぎないわけだから、家康の主君は天皇である
当然のことだよ。
そして、公卿の主席の秀吉が死んだとき、他に大臣はいなかった。だから内大臣の家康が主席であり、
征夷大将軍に任命され、天下人になった。
秀頼はその征夷大将軍の命令に逆らった逆賊だから討伐された。ピッと筋が通っている
- 122 人間七七四年
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以前にも聞いたけど、豊臣信者の方々は晩年の秀吉の失政が
豊臣の寿命を縮めた要因としてかなり大きいことをどう思ってるのかな?
簒奪簒奪と一方的に家康を罵る前に秀吉自身が豊臣政権の崩壊を決定付けたことを
直視すべきだと思うが
- 153 人間七七四年
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>>121
勝ってる側が和睦申し込んで、領地奪われて、人質差し出すわけねーだろ。
馬鹿も休み休み言え。
>>122
秀吉の晩年に失政など存在しない。
家康を大老に任じたのが失政だと主張するなら、まあそれは認めるがねw
- 132 人間七七四年
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征夷大将軍は皇室に楯突く夷を成敗するのが任務だから軍事指導権も
その時のみの話
そもそも豊臣家は皇室に弓引いたわけでもないので関東方は官軍でも
なんでもない 実際秀頼を朝敵にしようとした工作は失敗しているし
逆に関東方に中止勧告だしているし
あくまで関白も将軍も権威づけのものに過ぎず、意味があるのは武力を
伴う威光であり、官職ではない
- 133 人間七七四年
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>>132
豊臣を朝敵にしようと工作した話なんて、お前が連日いっても誰も信じない捏造だろうに
よくバカにされ恥を晒し続けてもあきないね
嘘のネタすら思いつかないのか、その程度しかw
- 139 人間七七四年
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>>133
簡単にいうとそれが徳川信者だからじゃない?
事実を見られないバカだしね
大義名分がないと戦はできるもんじゃないし、朝廷にその許可を
得ようとした痕跡はあるんだが?秀頼討伐の勅許って秀頼を朝敵に
する以外に何があるのか?
- 146 人間七七四年
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>>139
痕跡って具体的になんなの?
- 188 人間七七四年
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>>153
秀吉と家康の勢力は基礎体力が違う。だから講和するなら弱い家康が人質を出す形になる。
けど家康は勝っていたからこそ、自分の子供を養子として送り出したんだよ
負けていたなら、養子ではなくただの人質だ。
もし秀吉が秀康を殺そうものなら、子殺しだ。殺すわけにはいかない
- 160 人間七七四年
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秀吉は将軍任官打診を拒否してたろ
それより上位の関白を願ったが朝廷は嫌がった
結局は根負けしたけどさ
- 162 人間七七四年
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>>160
>>146
- 166 人間七七四年
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>>162
秀頼を討伐する事の同意を朝廷に求めたが不同意のまま
結局挙兵はされるものの、やめるように伝達される
だが家康は無視
- 175 人間七七四年
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何で三河政権たる室町幕府を尾張の田舎猿とグルになって倒さなあかんのか?
◇元弘の変(1331〜1333年)室町幕府の支配層、関東転封(1590年)江戸幕府の支配層 三河武士◇
【三河県岡崎市】
■室町幕府
・足利氏(宗家、鎌倉公方):大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷
■江戸幕府
・安祥松平家(宗家、御三家)
・能見松平家:譜代大名家(下総国関宿藩、遠江国横須賀藩、出羽国上山藩、摂津国三田藩、豊後国高田藩、豊後国杵築藩)、子爵
・三木松平家:旗本家
・酒井氏(左衛門尉家):徳川四天王、徳川十六神将、徳川二十将、安祥譜代、譜代大名家(下総国臼井藩、出羽国庄内藩、左沢藩、大山藩、松山藩)、伯爵、子爵
・酒井氏(雅楽頭家):徳川四天王、徳川十六神将、徳川二十将、安祥譜代、譜代大名家(武蔵国川越藩、、上野国前橋藩、播磨国姫路藩、若狭国小浜藩上野国伊勢崎藩 駿河国田中藩、安房国勝山藩、越前国敦賀藩)、伯爵、子爵
・本多氏:徳川十六神将、徳川二十将、安祥譜代、岡崎三奉行譜代大名家(福山藩)
- 176 人間七七四年
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>>175
続き
・青山氏:安祥譜代、譜代大名家(常陸国江戸崎藩、武蔵国岩槻藩、信濃国小諸藩、遠江国浜松藩、丹波国亀山藩、丹波国篠山藩、美濃国郡上八幡藩)、子爵、東京青山
・阿部氏:安祥譜代、譜代大名家(武蔵国鳩ヶ谷藩、上総国大多喜藩、相模国小田原藩、武蔵国岩槻藩、丹後国宮津藩、下野国宇都宮藩、備後国福山藩、下野国壬生藩、武蔵国忍藩、陸奥国白河藩、磐城国棚倉藩、三河国刈谷藩、上総国佐貫藩)、子爵
・植村氏:安祥譜代、譜代大名家(大和国高取藩)、子爵
・大久保氏(三河大久保氏):安祥譜代、譜代大名家(美濃国加納藩、相模国小田原藩、下野国烏山藩)、旗本家
・安藤氏(三河安藤氏):徳川二十将、譜代大名家(遠江国掛川藩、下総国小見川藩、上野国高崎藩、備中国松山藩、美濃国加納藩、陸奥国磐城平藩)、旗本家、男爵
・内藤氏:徳川十六神将、譜代大名家(信濃国高遠藩、陸奥国湯長谷藩、三河国挙母藩、日向国延岡藩、信濃国岩村田藩、越後国村上藩)、子爵、東京内藤新宿
・鳥居氏:徳川十六神将、譜代大名家( 下総国矢作藩、陸奥国磐城平藩、出羽国山形藩、信濃国高遠藩、能登国下村藩、近江国水口藩、下野国壬生藩、甲斐国谷村藩)、子爵、東京鳥居坂
・大須賀氏(三河大須賀氏):大須賀松平家。徳川二十将、譜代大名家(上総国久留里藩、遠江国横須賀藩)
・服部氏:徳川十六神将、伊賀同心支配役、伊賀国桑名藩服部半蔵家(大服部家)、東京半蔵門
・渡辺氏:(三河渡辺氏):徳川十六神将、譜代大名家(和泉国伯太藩)、旗本家、尾張藩家老、田安徳川家家老、一橋徳川家家老、紀伊和歌山藩家老、子爵、男爵
・土井氏:大老四家、譜代大名家(下総国小見川藩、下総国佐倉藩、下総国古河藩、志摩国鳥羽藩、肥前唐津藩、三河国西尾藩、三河国刈谷藩、越前国大野藩、下総国大輪藩)、子爵
・成瀬氏:譜代大名家(下総国葛飾栗原藩)、尾張藩御附家老、子爵
・林氏(三河林氏) :譜代大名家(上総国貝淵藩、上総国請西藩)、男爵
・蜂屋氏:徳川十六神将、旗本家
・天野氏(三河天野氏):岡崎三奉行、旗本家
・小栗氏(三河小栗氏):旗本家、小栗忠順(幕末三俊)
・島田氏:旗本家、東京弾正橋
・柴田氏:旗本家
・中根氏:旗本家
- 177 人間七七四年
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>>176
続き
【三河県幸田町】
■室町幕府
・大草氏 (足利被官):奉公衆
・大場氏 (吉良被官):深溝城
■江戸幕府
・深溝松平家:譜代大名家(三河国深溝藩、三河国吉田藩、三河国刈谷藩、丹波国福知山藩、下野国宇都宮藩、肥前国島原藩)、子爵
・大草松平家:水戸徳川家家老
・高力氏:岡崎三奉行、武蔵国岩槻藩、遠江国浜松藩、肥前国島原藩)、旗本家
・平岩氏:徳川十六神将、譜代大名家、尾張藩家老
・大草氏:旗本家
・長坂氏:旗本家
・夏目氏:旗本家、東京夏目坂、夏目漱石
【三河県豊田市】
■室町幕府
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城
■江戸幕府
・松平郷松平家:旗本家(交代寄合)
・大給松平家:譜代大名家(三河国西尾藩、豊後国府内藩、美濃国岩村藩、三河国奥殿藩)、旗本家、子爵
・滝脇松平家:譜代大名家(駿河国小島藩)、子爵
・榊原氏;徳川四天王、徳川十六神将、譜代大名家(上野国館林藩 陸奥国白河藩、播磨国姫路藩 越後国村上藩、越後国高田藩)、旗本家、子爵
・三宅氏:譜代大名家(三河国挙母藩、三河国田原藩、伊勢国亀山藩)、子爵、東京三宅坂
・鈴木氏(三河鈴木氏):旗本家
- 178 人間七七四年
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>>177
続き
【三河県安城市】
■江戸幕府
・福釜松平家:旗本家
・桜井松平家:譜代大名家(武蔵国松山藩、遠江国浜松藩、上総国佐貫藩、駿河国田中藩・遠江国掛川藩・信濃国飯山藩・遠江国掛川藩、摂津国尼崎藩)、子爵
・藤井松平家:譜代大名家(常陸国土浦藩、上野国高崎藩、丹波国篠山藩、播磨国明石藩、大和国郡山藩、下総国古河藩、備中国庭瀬藩、出羽国上山藩、駿河国田中藩、遠江国掛川藩、丹波国亀山藩、武蔵国岩槻藩、但馬国出石藩、信濃国上田藩)、子爵
・石川氏(三河石川氏):安祥譜代、譜代大名家(美濃国大垣藩、豊後国日田藩主、下総国佐倉藩主、近江国膳所藩)
・高木氏(三河高木氏):徳川十六神将、譜代大名家(河内国丹南藩)、子爵、崇仁親王妃百合子
・保科氏:譜代大名家(下総国多胡藩、信濃国高遠藩、出羽国山形藩、陸奥国会津藩、上総国飯野藩、陸奥国会津藩)
・今村氏 :旗本家、下田奉行
【三河県刈谷市】
■江戸幕府
・水野氏:徳川二十将、譜代大名家(三河国刈谷藩、大和国郡山藩、備後国福山藩、能登国西谷藩、下総国結城藩、駿河国沼津藩、上総国鶴牧藩、出羽国山形藩、上野安中藩、三河国国吉田藩、信濃国松本藩、三河国大浜藩)、子爵
・三浦氏:譜代大名家(下総国矢作藩、下野壬生藩、美作国勝山藩)、旗本家、子爵
【三河県碧南市】
■江戸幕府
・永井氏:譜代大名家(上野小幡藩、常陸国笠間藩、下総国古河藩、上総国潤井戸藩、山城国淀藩、丹後国宮津藩、大和国新庄藩)、子爵、東京信濃町
- 179 人間七七四年
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>>178
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【三河県西尾市】
■室町幕府
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
・小笠原氏 (吉良被官):幡豆小笠原氏、三河守護代
・大河内氏 (吉良被官):引馬荘荘官
■江戸幕府
・東条松平家:譜代大名家(武蔵国忍城藩、尾張国清洲藩)
・米津氏:徳川十六神将、譜代大名家(武蔵国久喜藩、出羽国長瀞藩、上総国大網藩、常陸国龍ヶ崎藩)、子爵
・板倉氏:徳川二十将:譜代大名家(備中国松山藩上野国安中藩、陸奥国福島藩、備中国庭瀬藩)、旗本(交代寄合)
・松井氏(三河松井氏):松井松平家、譜代大名家(武蔵国私市藩、常陸笠間藩、丹波国篠山藩・和泉国岸和田藩・石見国浜田藩、武蔵川越藩)、子爵
・加藤氏(三河加藤氏):外様大名家(伊予国松山藩、陸奥国会津藩、近江国水口藩)
・小笠原氏(幡豆小笠原氏):旗本家、小笠原諸島
・西尾氏:譜代大名家(美濃国揖斐藩、武蔵国原市藩、上野国白井藩、常陸土浦藩、駿河国田中藩、信濃国小諸藩、遠江国横須賀藩、安房国花房藩)
・伊奈氏:関東代官、譜代大名家(武蔵国小室藩)、旗本家
- 180 人間七七四年
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>>179
続き
【三河県豊川市】
■室町幕府
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
■江戸幕府
・長沢松平家(大河内松平家):徳川十六神将、譜代大名家(武蔵国忍藩、武蔵国川越藩、下総国古河藩、三河国吉田藩、遠江国浜松藩)、旗本、子爵
・牧野氏(三河牧野氏):譜代大名家(上野国大胡藩、越後国長岡藩、常陸国笠間藩、信濃国小諸藩、越後国三根山藩)
・稲垣氏(三河稲垣氏):牛久保六騎、譜代大名家(志摩国鳥羽藩、近江国山上藩)
・井上氏(三河井上氏):牛久保六騎、譜代大名家(遠江横須賀藩)
・山本氏(三河山本氏):牛久保六騎、旗本家、越後長岡藩家老
・真木氏(三河真木氏):牛久保六騎、旗本家、越後長岡藩家老
・野瀬(能勢)氏(三河野瀬氏):牛久保六騎、旗本家、越後長岡藩士
・岩瀬氏(三河岩瀬氏):牛久保六騎、旗本家、岩瀬忠震(幕末三俊)
【三河県蒲郡市】
■江戸幕府
・形原松平家:譜代大名家(三河国形原藩、摂津国高槻藩、下総国佐倉藩、丹波国篠山藩、丹波国亀山藩)、子爵
・五井松平家:旗本家(寄合)
・竹谷松平家:譜代大名家(武蔵国久喜藩、三河国吉田藩)、旗本(交代寄合)
・鵜殿氏:旗本家、鳥取藩家老
【三河県豊橋市】
■室町幕府
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、備後)
■江戸幕府
・戸田氏(三河戸田氏):徳川二十将、譜代大名家(信濃国松本藩、播磨国明石藩、美濃国加納藩、山城国淀藩、美濃国大垣藩、三河国田原藩、下総国佐倉藩、肥前国島原藩、下野国宇都宮藩、下野国足利藩、下野国高徳藩)、旗本家、子爵
・西郷氏:譜代大名家(安房国東条藩)、旗本家
- 181 人間七七四年
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>>180
続き
■三河県新城市
【室町幕府】
・設楽氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
・富永氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
【江戸幕府】
・奥平氏:奥平松平家、徳川家御連枝、譜代大名家(下野国宇都宮、豊前国中津藩、三河国作手藩、伊勢国亀山藩)、伯爵
・菅沼氏:譜代大名家(上野国阿保藩、伊勢国長島藩、近江国膳所藩、丹波国亀山藩)、旗本家
・大岡氏:譜代大名家(三河国西大平藩、武蔵国岩槻藩)、旗本家、大岡越前守
・設楽氏:旗本家
【三河県田原市】
■江戸幕府
・渥美氏:徳川二十将、伊予西条藩家老
以上
三河政権たる室町幕府を三河人が倒すとか、頭がおかしいのか?
- 194 人間七七四年
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>>188
秀次「養子は殺されないよな」
信康「実子で嫡男だし殺されるわけないよね」
義信「ですよね〜」
- 211 人間七七四年
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豊臣秀吉を主人公にした大河ドラマは、1965年の『太閤記』以来、31年ぶり2作目。
竹中直人やおね役の沢口靖子のほか、信長役の渡哲也の重厚な演技、秀長役の高嶋政伸、なか役の市原悦子、足利義昭役の玉置浩二、千利休役の仲代達矢、光秀役の村上弘明などの脇役たちの存在感もそれぞれ光るものがあり、視聴率は当初の予想を大きく上回ることになる。
平均視聴率30.5%、最高視聴率は37.4%と、歴代の大河ドラマの中でも上位に位置する高視聴率を記録した。この作品以降で平均視聴率・最高視聴率いずれも30%を越えた作品は存在しない。
それにひきかえ葵徳川三代の最高視聴率は、なんと初回の22.6%でその後はジリ下がり。平均視聴率は18.5%の体たらく。
役者たちの演技は重厚で見ごたえがあったが、いかんせん不人気の徳川家康を主人公にしたのが失敗であった。
- 216 人間七七四年
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>>211
竹中版の秀吉は、晩年の暗黒秀吉を切ったからな。吉川英治と同じ。
軍資官兵衛でブラック、認知やってくれたがな。
- 213 人間七七四年
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史上最大の炎上中だが
もの供、聖なる生誕の夜だから、
各地の東照宮へ墓参参るぞ!!
拙者は本社へ行く。
- 236 人間七七四年
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>>213
炎上?
東照宮燃えてんの?
- 220 人間七七四年
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>>216
晩年がブラックというのがアンチの戯言。
戦後の洗脳教育の結果に過ぎん。老いても守りに入らず更に先を目指した英雄なんだよ。
功臣や有力諸侯を粛清すれば政権は安定しただろう、だがそうならず国の更なる発展を目指した事が良いのだよ。
明治維新の後に幕臣や列藩同盟や功臣粛清すればいいわけじゃないだろ。
- 221 人間七七四年
-
>>220
秀次事件がブラックじゃないwww
ちなみに、唐入りは無計画、誇大妄想の大バカだとは思うがブラックとは考えてない。
- 224 人間七七四年
-
>>221
そりゃあ謀叛人だから当然
家康が謀叛人をどうやって処刑したか知ってる?
妻子は皆殺ししかも拷問で指などを切り落とした。それを見せつけた後謀叛人を鋸引きで一週間かけて殺害した。
- 256 人間七七四年
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>>236 炎上?東照宮燃えてんの?
んなワケない。
>誕生日おめレスが一つもない
拙者はこの10年くらい日付変わる寸前には
スレで告知>>213 してるぞ<`ヘ´>
- 258 人間七七四年
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>>256
誕生日おめって、逆賊として死んだ人間なのに何言ってんだよw
- 265 人間七七四年
-
守護地頭の設置は、源頼朝の征夷大将軍就任前に朝廷に認めさせた権能だぜ
徳川幕府では、採用されてないし
- 269 人間七七四年
-
>>265
その権利は将軍に結び付けられてるのではない?
- 270 人間七七四年
-
>>269
結び付られてないことは、人のレスを読めばわかる事なのに、何いってるのこいつ
- 280 人間七七四年
-
>>270
使用されないのと権利として有していることは同義じゃない
で、裁判権やらは?
- 274 人間七七四年
-
北政所ねね
「秀頼は大野治長の子じゃ。あのでかい図体をみりゃ分かるだろう
あきらかに種が違う。そもそも種なしの藤吉郎が、どうやって子供をつくると言うんじゃ。
なぜ淀殿だけ次々子を孕む? 藤吉郎は九州にいたのに、子種だけが淀殿に飛んだとでもいうのか?
淀は托卵をおこない、私が藤吉郎と作り上げた豊臣を根こそぎ奪い取りおったのよ
そして私の甥の秀次一家を虐殺してしもうた
藤吉郎が露と落ち露と消えにし我が身かな、浪速のことも夢のまた夢と言って死んだが
藤吉郎も本当はわかっておったのだろうな。浪速のことは夢じゃ。まぁそれでも自分の子と信じたかったのだろうが・・・
私が早々と西の丸を譲り、家康殿にすべてをたくしたのは、あれはもはや私と藤吉郎の夢ではないからじゃ」
- 292 人間七七四年
-
>>274
あのう、もしもし?
秀吉に若死にした子が居た事は確実みたいですよ?
秀勝って名前で、信長の四男の於次丸にも同名を名乗らせてますから相当な心の傷
常態だったみたいですね。
だもんで種無しは間違い、それと秀頼の祖父の浅井長政は大男なんで秀頼が大男でも
誰も不思議に思ってません。
後、仮に秀吉の子じゃ無くても、織田と浅井の血は確実なんで近江系の家臣から
見ると普通に主君筋です。
- 295 人間七七四年
-
>>292
石松丸は10歳未満で亡くなってるのに
元服して秀勝と名乗ってるのはおかしいです
長浜時代に生まれた娘とされてるのも
時期的に養女になったばかりの豪姫のことですから
- 296 人間七七四年
-
>>274
あれは家康が自分の暗殺疑惑を前田や浅野、おまけにねねまで共謀したと言い張って、
追い出したんだよ。その上自分が住みだしたら二の丸に天守閣作り出すし、
完全なクソ野郎です。
ただ托卵なのはその通りだろう。秀吉も承知の上。秀次よりはマシと判断したんだろうね。
>>295
筒井をはじめなくはないよそういう話は。ただそいつも托卵なんじゃないかなと思う。
だけど当時は秀吉は托卵とは思わなかっただけ。
織田家は超ブラック企業で小作りする暇がない、小梨や晩年でやっとみたいなケースが多い。
だから子供がなかなか生まれないのは疑問には思わなかっただろう。
- 297 人間七七四年
-
>>296
それにしちゃ、前田の子作りは順調だったな。
- 301 人間七七四年
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>>296
秀吉はその件で滅茶苦茶怒ってんだぞ。
普通、跡取りには乳母をつけるのだが秀吉は一人で育てろと激怒の手紙を送ってる。
淀君の君って後世に呼ばれたらしいから当時は淀殿って呼び方だったみたいだけど
君って下女を呼ぶ時の呼び方。
だから相当評判が悪いのが分かる。
- 299 人間七七四年
-
>>297
そりゃ京都で政務したり、軍率いて転戦して、途中から軍団長としてあちこち転戦していた、
羽柴や柴田、明智や丹羽(この二人も子供が幼かった)
と違って前田さんはね・・・そのなんだ。
家康も子作り頑張ったのは晩年からで、信康と秀忠で親子くらい歳の差あるからね。
- 305 人間七七四年
-
>>301
いやそれはその通りなんだけど、
最初は腹立っていたけど、その後愛情が芽生えた説とか、
それはそれとして後継者にするために、
子作り(たぶん参籠)の事情を知ってる侍女と宗教関係者を大量に処刑して口封じした説があるから。
淀が評判悪いのも同意。
当時はある程度地位がある人は、旦那が死んだら尼になるのが普通だったから、
そのままってのは相当アレ。
それを気にして、加賀殿とかは秀吉は死ぬ前に公家とかに嫁にさせてる。
- 312 人間七七四年
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>>305
浅井三姉妹の母親、信長の妹が秀吉を相当嫌っていて柴田勝家と再婚して一緒に自害してんだから淀もドラマ通り秀吉のことは好きなはずはないんだよな。
兄貴も秀吉に殺されてんだから。
父親の浅井長政が大男だったから秀頼の父親が誰でも隔世遺伝で大男になる可能性はあったのだけど間違いなく秀吉の子じゃない。
これはね。淀の秀吉に対しての復讐。
歴史って面白いのは秀忠の正室の江は治世の権力者について豊臣を滅ぼしてるし
京極の正室、初は秀忠の子を養女として育てて長生きしてる。
結局、浅井長政と信長の末妹お市。もっと言えば信長のDNAが同盟家康を使って天下統一果たしたもんだ。
江と秀忠の娘和子は天皇の嫁になっているのだから
覇権コンプリートだよ。
やはり今川や武田と争った信長家康同盟は強かった。
- 341 人間七七四年
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秀頼が成長してクーデターを起こしたらまた戦国時代の逆戻りだ。争いの芽は早めに摘んでおかないと。
徳川の天下になったからって初期は外様が裏切らないように家康と秀忠は相当苦心したらしいからな。
豊臣なんて男子の成人直系が生きてたら怖くてどうしようもない。
ただ徳川の天下になっても木下家って残してるし
最初から殺そうとは思わなかった( -_・)?じゃないか
- 342 人間七七四年
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>>341
当時は今とは考えられないほど宗教的な考えが強かっただけ
滅亡した家をそのままにしておく事は為政者としては得策ではない 秀吉の墓そのものも破壊しなかったのも遠慮があったのだろう
怨霊信仰も強く、先祖御祭を途絶えさせる事は畏れおおいこと、とされてた
- 353 人間七七四年
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>>342
厳島神社が現代まで残ってるくらいだしな。
- 428 人間七七四年
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家康自身は、いい歳になっても血の気が多い人物だったらしいね
本能寺の変が起こった時は、信長に殉じて討ち死にするとか切腹するとか騒いで
周りの家臣に止められてる
- 429 人間七七四年
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>>428
桶狭間、三方原、本能寺、大坂夏の陣と恒例の風物詩。
敵に首を取られるのは恥と考えてたんだろうが、その都度乗り越えてるのはさすがというしかない。
- 431 人間七七四年
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>>428
本能寺の変発生時の反応は切腹未遂で、
止めたのは家臣ではなくて茶屋四郎二郎だったような
若い時分、桶狭間で今川義元が討ち取られてしまった時も
切腹未遂を起こしたと伝わる(止めたのは松平家菩提寺の大樹寺住職)
血の気が多いというより、
想定しない事態に直面すると対処し切れずに悪い方へと考えてしまうような
小心者と思われる
少なくともそうした局面で度胸が据わるタイプではない
- 434 人間七七四年
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家康は秀吉に比べたらはるかに「政治家」であり「オルガナイザー」だから
信長や秀吉のような派手さやエンターテイメント性がないだけでしょ
信長や秀吉は素人受けするが、家康は玄人にしかわからない
これ、豊臣信者の教祖司馬遼太郎が言ってること
- 436 人間七七四年
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>>434
家康は、日本一の政治家だろうね。
最晩年に禁中並公家諸法度、武家諸法度で法治、朝廷統制を制度化した。この業績は大きい。
- 441 人間七七四年
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>>431
義元討たれたら、義元の仇と同盟して、遺児を攻撃し、
信長討たれたら、織田領の信濃甲斐に攻め込み占領し、孫の秀信を滅ぼした。
秀吉死んだら以下略
ただの腐れ外道、なのに朝鮮朱子学に傾倒して広めてるとかギャグだろ!
>>436
ただの逆賊じゃねーか。
- 439 人間七七四年
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秀吉は織田家を乗っ取った逆賊で、天皇の権威を利用して正当化し、大名を服属させていったので、足腰が弱い
だから些細なことで殺しまくったのだろうな。
ドラマとかじゃ太閤殿下の恩とか言いまくっているけど、「恩なんかねーよ」かほとんどの大名の気持ちだろう。
特に、織田家の旧臣や、故郷を奪われ左遷された徳川や、駒姫を殺された最上などの代表に恨みを抱いている大名も多かったのだと思う
朝鮮にまで付き合わされた大名も恩なんか感じないだろう。
恩ってのは秀吉が織田家にされたように、目をかけられ、引き上げられ、重用されてこそ生まれる。
- 440 人間七七四年
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>>439
家康は関東移動反対などしとらん。むしろ国高倍増で大喜びだぞ。家康は三河にさして思い入れはない。隠居したのも駿府。
朝鮮征伐も大名はみんな大喜びだよ。家康も出征する藤堂に祝してる。渡海希望しても叶えられなかった大名は多い。
- 442 人間七七四年
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>>441
そうか、皇室典範を天皇に押しつけている日本政府は逆賊か
>>440
反対すれば改易だ。大恩ある主君の息子織田信雄は改易された
- 450 人間七七四年
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駒姫の逸話ってよくいわれるけど
実際は、豊臣にすり寄りたい最上が娘を差し出したのが正解で
その態度を政宗やら東北大名から「大名にあるまじき情けない行為」
と批判されてるんだけどね
殺されたのは可哀想だけど、見初めて側室にしたというのは嘘
- 464 人間七七四年
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>>450
最上家に悪感情を抱く伊達家臣による創作
史実ではない
お前が信じたがってる軍記物が嘘
- 459 人間七七四年
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信長も官位に無頓着で革新的だからそういう歴史の流れを無視する人だからね。
早々に歴史を重んじてた古い頭の明智に滅ぼされたがな。
やっぱね。こういう日本の歴史を軽んじない踏まえる人が長生きすんのよねぇ。
俺はバカに出来ないと思う。
- 462 人間七七四年
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>>459
まぁでも当時の戦国武将は孔子孟子の儒教を必修で学んでいただろうし
儒教を学んでいれば禅譲は悪ではないと思っていただろうけどな
- 476 人間七七四年
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>>464
あれね、凄まじいまでの最上アンチである伊達成実によるでっちあげだよな
・「成実記」によるフィクション
九戸政実の乱鎮圧のための進軍で豊臣秀次が山県城に立ち寄った際、
最上義光が饗応に駒姫を差し出した。秀次は彼女の美貌を見初め、
十五歳になったら我が側室になるよう約束させた。
上方の権力者に取り入ろうとする卑しい下心が裏目に出て、
秀次粛清の事件に巻き込まれ、駒姫は処刑された。
それ見たことか。最上家は天下の笑いものになった。
・史実
秀次は山形城に立ち寄っていない
駒姫が処刑されないよう、徳川家康や前田利家らが奔走した
処刑された結果、世間は駒姫に同情的だった
明らかに駒姫が惨殺された後になって輿入れに至る経緯を成実が捏造し、
世論を歪めて書いている
秀吉の暴挙を正当化するためなら
こんな嘘まで動員するという卑劣な精神構造には
つくづく背筋が寒くなる
- 474 人間七七四年
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太閤の命令は「天皇に任命された関白」という地位によって保証されている
つまり天皇の意思によって左右される。
その天皇が家康を征夷大将軍に任じた以上、太閤秀吉が何を言っていたところで意味はない
日本の君主は天皇であって秀吉ではない。家康と秀吉の主君は天皇だ。
主君は天皇。これが豊臣政権を支える最前提としてある。
そして天皇は秀吉の死後に五摂家を関白に任命し、実務は征夷大将軍が行なうように定めた以上、豊臣が家康を裏切りだと言うのは筋違い
文句なら、任命した天皇に言うべきだな。
- 489 人間七七四年
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>>474
まず征夷大将軍も関白もそれを得たから天下人になるわけでもないし
力の拠り所でもない ただの飾り それが実情
秀吉も家康も実力があるから天下人になるのだし、朝廷官職通りの業務
をやってる実情なんぞない
んなもんはとうの昔に終わってる
秀吉は幕府を開かなかったが、実際は三位以上の公卿は政所を開く資格ができる
のでこれはあった
全国の大名を従えていた豊臣家の規模だと家政は日本全国になるので
実態は幕府を開くのと変わらない(太閤蔵入地を通して諸大名を支配していた)
家康の将軍宣下は豊臣家の筆頭家老に朝廷官職を被せて箔をつけているだけにすぎん
天皇が家康に大政を委任したわけではない だいたい豊臣家家政を豊臣家を無視
して他人に与えるなどありえないし、大政委任論がでたのは江戸後期でこの頃に
はそんな考えはない ないものは委任しようがない
家康は深い意図があったか知らないが、関白も不在のままでは公儀に箔がつか
ないと考えて将軍宣下を受けたんだろ だが征夷大将軍の仕事である蝦夷討伐なん
ぞないのだから実際には飾りでしかなく、秀吉から任された政務をとることが
家康の仕事だ だが、それは一時的に任された仕事であって秀頼成人後は彼に
返還するのは当然のことだ あくまで話の筋から言えばな
しかし天下が取れそうだから太閤遺命に反し、天下を取った それだけのこと
- 496 人間七七四年
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>>489
将軍職は源で受けている
伊達とか秀忠とか大大名には大抵豊臣だか羽柴だか名乗らせてる
それを捨てて将軍職についたというのは豊臣の宰相としてじゃない
そして将軍職は名前の通り軍事司令官
軍事的には豊臣は徳川の指揮下に入らないといけない
- 497 人間七七四年
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>>496
建前上源氏に将軍職を許すのだから名乗りは当然そうなる また将軍宣下も豊臣政権の城でうけてる
また、将軍職はただの飾りだから士気か指揮下云々は根拠がない
- 499 人間七七四年
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>>497
建前で源氏にってのが理解不能
下賤の秀吉に関白させてる時点で
飾りは関白もそう
だから主従を示すものじゃない
それこそ建前で将軍の職掌が軍事担当なんだから
元スレ
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