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二重公儀論について考察する

この話題の盛り上がりグラフ
2017-12-03 02:35:09 最終更新
1 agetoff

笠谷和比古等が主張する関ヶ原後も関白継承権を持った豊臣家が一定以上の権威と大名への影響力を有しており、

公儀は二重体制になっていたという論について色々と考えてみましょう

407 人間七七四年

>>405は「1600年〜1615年の徳川・豊臣並立状態」を笠谷が「二重公儀」と定義したんだから

それ以外の時代の状態については定義の範疇外だろって言いたいんだろ?

勘違いしているみたいだが、このスレでいう「二重公儀」は

「二重に公儀が存在する」って意味の一般名詞じゃ無いからな?

仮に「南北朝とか足利義晴・義維の対立時代」の方が「二重公儀」にふさわしいとして、どうしたいの?

笠谷は「二重公儀」って言葉を使うなってこと?

別に使わなくても良いけど、>>1の「豊臣家が一定以上の権威と大名への影響力を持ってたか」

の議論に一切関係ないとこだよねそれ?

「南北朝とか足利義晴・義維の対立時代」を「二重公儀」と言いたいならそういう論文書いたら?

521 人間七七四年

>>1

笠谷和比古6月に宮帯出版社から徳川家康の本出したと思ったら

今度は12月にミネルヴァ書房から家康の本出すのか

家康、関ヶ原、大坂の陣をどれだけ喰いものにする積もりなんだか

3 人間七七四年

徳川家康が征夷大将軍として命じたことは、片桐且元は恐縮して承っていたので完全なる一元的徳川公儀政体と解すべきである

17 人間七七四年

>>3

慶長16年の二条城会見では、秀頼が上座(御成りの間)で家康は下座だったというけど、どうなのよ。

11 人間七七四年

追記、ただし「安井系譜」には豊臣家に命じられてとあるが、

この中の安井道頓は実在しないと、道頓堀裁判で確認されている

hhttp://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&;id=1000104652

13 人間七七四年

>>11

正しくは「成安道頓」。彼が豊臣政権の認可を受けて開鑿していたのだが、大坂の陣が始まると、

彼は大坂城に籠城して戦い、豊臣家に殉じて戦死してしまった。

そこで戦後、彼の親類の安井氏が事業を引き継いで完成させた。

戦後に大坂城主となった松平忠明は道頓の功績を顕彰して、この開鑿運河を「道頓堀」と命名したということだそうだ。

14 人間七七四年

>>13

豊臣政権が命じ道頓らが私費で開削したというのは『安井家譜』が出典で、安井道頓を安井九兵衛の兄としているが、

これは道頓堀裁判で事実ではないとされている

そして『諸由緒』では開削を申し出たのは「公儀」とあり、また当時は道頓堀ではなく南堀川としている

この辺から道頓堀開削を命じたのは江戸幕府の可能性が高い

18 人間七七四年

>>17

先に秀頼が御成の間に入り、後に家康が入ったということなのだが

19 人間七七四年

>>18

あとから入ってきた家康が座ったのは下段の平間

20 人間七七四年

>>19

それは客を主人が出迎える際のしきたり

秀頼が強く固持して家康が上座に登ったようだが

84 人間七七四年

3万の大軍をもちながら上田城一つ落とせず、天下分け目の一戦にも遅刻するようなアホに従うやつ、徳川譜代以外どこにおるか(笑

86 人間七七四年

>>84

第二次上田合戦はありませんし、攻める前に家康から上洛命令が下りました

105 人間七七四年

三万も軍勢がいるんだから、一万を上田に対する備えとして残して、

さっさと行けばいいものを、このお粗末ぶりだ。

この秀忠部隊のチンタラぶりに愛想つかして、先鋒の榊原康政はさっさと本道を西へいってしまったとさ。

もはや譜代武将からもバカにされてる秀忠

106 人間七七四年

>>105

三万は信濃の大名も含んだ数だから、森忠政を初め一万は残っただろうな

榊原云々は『岩淵夜話』が出典だから話半分だね

142 人間七七四年

信者とかレッテル貼り鬱陶しい

力関係では徳川>>豊臣でも

豊臣家には依然として公儀としての体裁が残っていたから

力づくで滅ぼすしかなくて

大坂の陣になったんでしょ?

牢人衆も地位回復の望みを持って参加していたということも

その傍証になってるんじゃないの?

145 人間七七四年

>>142

諸大名の誰か一人でも味方したなら兎も角

行き場を失った牢人達が味方したから公儀として

体裁があると言われてもねぇ

149 人間七七四年

>>145

大坂の陣で豊臣秀頼に味方する大名が一人もなかったということが、徳川絶対論者の根拠になってるようだけど、

だったらナセ゜清正や幸長が死ぬまで大坂攻めを始められなかったかの疑問を説明しなければならなくなるよ。

153 人間七七四年

>>149

だから徳川が大坂攻めを始めたんじゃなくて豊臣が謀反を起こしたんだって

183 人間七七四年

見せつけたいなら、見せるだけていいのでは。

奉行という正式の監督として、入ってくる説明にはならない。

184 人間七七四年

>>183

そういう見せるだけの職は無いし

それに実際に何かしたとは思えん

その豊臣家の家臣二人がその後の豊臣家中で何かしたとも思えんし

185 人間七七四年

>>184

江戸城の工事現場を見回って監督することが何よりの仕事。

186 人間七七四年

>>185

いやいや、普請奉行というのはそういう役割ではない

ちゃんと縄張を考え、大名に配置と作るべきモノを指示し、それを納期まで実現させるように監督するのが仕事で、

そういう能力があれば、豊臣家でも何らかの仕事をしているはずだが、とんと聞かない

というか、関ヶ原合戦後の豊臣家は、そういう仕事について片桐一族以外の者の活躍を聞かないのだが

194 人間七七四年

アンチ二重公儀説の側から出てくるのは、へ理屈ばっか。

何か目新しい事実をもってきて、反論できないの。

195 人間七七四年

>>194

大坂城下の行政支配が、実質的には板倉勝重の指示で行われていたとか

196 人間七七四年

>>195

具体的には?

197 人間七七四年

>>196

大坂で行われている米の積み出し制限について、浅野長晟が差し押さえに苦情し、

その件を板倉勝重が片桐且元へ申し入れた所、且元が指令書の原案を作成し板倉勝重へ送り、

勝重と米津親勝が署名をしている

なお、大阪城天守閣はこの積み出し制限を、江戸幕府の指示で行われたとしている

200 人間七七四年

>>197

俺はどちらかと言えば二重公儀派だけど、197みたいな反論は生産的だと思うよ。

何の新しい事実関係を明らかにすることなく、ただ屁理屈ばかりこねまわしてイチャモン付けやってるやつがいるだろう。

研究者と称するやつの中にもいるな、そういうヤカラが。

207 人間七七四年

やりたくない事とは城普請?

江戸城の普請に諸大名を動員しているのは、豊臣から普請奉行を派遣して、豊臣の承認の下に行われている動員という態勢をとることで調和がはかられている。

そのための、豊臣奉行の参加では。

208 人間七七四年

>>207

豊臣からの普請命令があったとする記録は無い

216 人間七七四年

秀頼が西国大名の婚姻や世子の承認、家督の相続や官位の任官などに関わっていたのなら

西国を統治していたと言えるけどそういう判断は幕府がしてたんでしょ

それなら徳川家の権威と並び立つようなものではなく昔の誼から一定の配慮がある位の話じゃないの

219 人間七七四年

つか家康存命中に二重公儀状態ではなかったのなら、もうそれで二重公儀論が否定されたことになるような。

224 人間七七四年

>>219

家康の支配力がそれほど強いのなら、関ケ原合戦のあと京都から西に徳川系大名をいっさい入れてないことをどう説明する?

229 人間七七四年

>>224

先ず、京—江戸間を制圧することを最優先としたから

232 人間七七四年

ないない

そもそも二代目として秀頼は何の実績も才能の片鱗を見せ付けたことすら無いんだから

今の安定した地位を捨ててまで秀頼に賭けようかなと思わせる要素が無い

工作を仕掛けて当主が応じたとしても重臣の誰かに幕府に報告されて終わり

234 人間七七四年

>>232

安定した地位を捨てて戦してるじゃん

235 人間七七四年

>>234

誰が?

236 人間七七四年

>>235

勘違いしたすまない

この時代はまだ公儀ってのが曖昧で

パワーバランスで引っ繰り返る可能性が十分あったんではないの?

日本全国敵にまわしても戦をできる財力って十分過ぎるほど脅威だよ

大戦の後でもまだ大量に金銀の備蓄があったってんだから

238 人間七七四年

>>236

財力があるのは認めるけどそれだけじゃ無理だよ

兵士が足らなければ糧食も足らないし矢弾も足りない、それらを集めだしたら即座に警戒され

大名を味方に付けようとすれば前田家のように幕府に通報される

十分な戦の準備ができなかったら結局大坂の陣みたいな結末が待っている

かといってじっくり取り掛かるとなると秀吉の記憶は徐々に薄れていって

豊臣家に心寄せる人間は減る一方で徳川の支配体制は強固になっていく

246 人間七七四年

秀忠は家康が死んだらその威光すら残されず自身の将軍実績も全て否定されて、秀頼はいつまでも上書きされた秀吉の威光を当てに出来る

なんの根拠があってこんなこと言えるのか

249 人間七七四年

>>246

秀忠は天下分け目の関ケ原合戦で大失態をしでかしたという、「負の実績」がある。

家康亡きのちの政治情勢の中で、諸大名が秀忠と徳川から離れていくだろうというのは決してifの話とは言えない。

251 人間七七四年

>>249

げんに史実で起こっていないことはすべてifの話だよ

253 人間七七四年

>>251

秀忠は天下分け目の関ケ原合戦で大失態をしでかしたという、「負の実績」があるは、ifの話?

254 人間七七四年

>>253

家康亡きのちの政治情勢の中で、諸大名が秀忠と徳川から離れていくだろうというのがifの話

256 人間七七四年

>>254

当日の武将たちは、運の悪い奴にはついていかないもの。今でもそうだけど。

257 人間七七四年

>>256

確かにそうかもね。

それはそれとして、家康亡きのちの政治情勢の中で、諸大名が秀忠と徳川から離れていくだろうというのはifの話以外の何物でもないよ。

269 人間七七四年

秀忠が関ヶ原合戦で犯した失態は、上洛中に無理な行軍をして軍列を乱した「だけ」だよ

272 人間七七四年

>>269 リプレイだけど

遅いのは峠道だからではない、真田の追撃を恐れてう回路を使ってウネウネ進んでいるから。

3万の軍勢があって、真田の追撃を恐れるか、フツー

それも秀忠が馬鹿にされている理由なんだが、実は最後にきわめつけのアホが待っている。

これが家康の怒りをかった最大理由

ちんたら行軍の秀忠部隊だったけれど、赤坂方面にいる藤堂高虎あたりから、

「何やってるの、戦いが始まっちゃうよ」という知らせを9月14日頃に受けて、

ようやく現状が理解できて(ここまで理解できていなかったというのが無能の証明)

青ざめて、険しい木曽路に入る頃から特急行進に転換する。

急げ急げ! 遅れたらお父ちゃんに怒られるよとばかりに、ふっとばしてやってくるのだが、

当然、合戦は終わったあとの祭り。 で、家康の怒りを買って、ついてくるな顔も見たくないをやられるのだが理由はこうだ。

後先考えずに、木曽路を特急でふっとばしてきたから3万の軍勢の大半は置き去りだ。

自分の他には側近の少勢だろう。そんなんでやって来て、関ケ原合戦がもし西軍勝利となっていたらどうなる。

家康がアウトだけでなく、秀忠までがおあつらえむきの餌食になってしまっただろう。

このアホさ加減を、こっぴどく叱られたというわけ。

これで秀忠は、グズ、ドジ、アホの無能三冠王を達成してしまった。

こんな人間についていこうという武将なんかいると思う?

275 人間七七四年

>>272

同じことを延々と繰り返すのは嫌なので、その手の話はスルーします

秀忠の行動に致命的なものは存在しません

276 人間七七四年

>>275

聞きたいけど、下記のことは事実として認めるの、認めないの?

「後先考えずに、木曽路を特急でふっとばしてきたから3万の軍勢の大半は置き去りだ。

自分の他には側近の少勢だろう。そんなんでやって来て、関ケ原合戦がもし西軍勝利となっていたらどうなる。

家康がアウトだけでなく、秀忠までがおあつらえむきの餌食になってしまっただろう。

このアホさ加減を、こっぴどく叱られたというわけ。」

278 人間七七四年

>>276

出典の『板坂卜斎覚書』には次のようにある

「十月日を忘れ申候、秀忠公眞田を捨、木曾路を日夜御急御上り大津にて御対面候、

今度合戦に勝候、万一負候ハヾ吊合戦すべしと人数を揃へ上て能候ハんに、

道を急候迚まはらに被上候と御機嫌あしく、榊原式部大輔ハ御機嫌あしきを承り、

御前へも不出直に旗を立、人数を連て伏見へ通り候、」

これを見る限り、家康は概ね同様の発言をしているが、対面はしておらず、当然叱られていない

287 人間七七四年

>>286

それが>>278なんじゃ?

290 人間七七四年

つまり大名がいる前で叱責はされなかった

ならば悪評も立たない、実際にそのような記録も無い

秀忠は特に悪評も無く、家康の後継者として征夷大将軍として

江戸幕府を運営していた訳だ

291 人間七七四年

>>290

面会拒絶状態というのは誰が見ても明らかなのでは

叱られるより、もっと深刻そう

292 人間七七四年

>>291

別にそれで何らかの噂が立った事実は無い

294 人間七七四年

>>292

いちいち語る必要もないほど明白だから。

いちいち語るというのは、一般的には常識とはなってないから。

面会拒絶の状態を見たら、それが最大のメッセージ

295 人間七七四年

>>294

以前から不仲ならそうだろうが、突然不仲と認識されれば噂になるし

不仲ではなくなったのなら、それついても話が出て来る

そういう家康・秀忠間の不仲に関する当時の噂・話は一切、確認できない

300 人間七七四年

>>295

板坂の覚書に家康は「御機嫌あしく」と書いてあるのが理解できないの。

榊原康正が、家康が怒っていて、会うとまずいと判断して会わずに伏見まで直行したと書いてあるのが理解できないの。

史料を無視してあれこれ言っても無価値ということが分からないの。

301 人間七七四年

>>300

で、諸大名が秀忠を侮っていたという話のソースはいつ出すのお前

304 人間七七四年

>>300

まあいいんだけど、それと家康亡きのちの政治情勢の中で、諸大名が秀忠と徳川から離れていくだろうことがまったくもって繋がらないのですよ。

319 人間七七四年

>>316

組織が一枚板では無いからといって反主流派が必ず勝つとは限らない

反主流派は主流派が余程のヘマをして風向きが変わらない限りお鉢が回ってくることは無いの

だからこそ反主流派に甘んじてるわけだからね

秀頼の苦しい点は色々あるだろうけど、本人に政治的軍事的な実績がない点、頼るべき親族譜代の大名も居ない点

徳川家を相手取るには直轄の領地が少なく兵力に不安があり、有り余る資金で浪人を集めても統率できそうな大将が居ない点

大坂の陣でも分かるように、優秀な人材が居ても彼らを信用することができないからね

これらの点で全国的に見て主流派である徳川家との差が有り過ぎて

秀忠がそれこそ秀次事件並の大ポカをして親族全滅譜代も半壊して

外様の反感を買うような事態にでもならない限り非主流派である秀頼に勝ち目は無いと思う

で、秀忠がそんなミスを犯すとかというとないだろうなあと

そもそも敵失に期待しなきゃいけない時点で望みはほぼ無い状態だからね

公儀性に関しては>>216も自分だからそれを見てもらえれば

322 人間七七四年

>>319

豊臣家が健在で秀忠が強権政治を取りえたと考えられるかって質問に簡潔に答えてくれないかな?

323 人間七七四年

>>322

取れたか取れないかという意味で言うなら取れたと思う

それで秀頼が反乱を起こすなら秀忠としては望むところなのでは

でも強権政治を具体的に説明して欲しいな

案件によっては是々非々というものがあるから

328 人間七七四年

>>323

たとえば坂崎改易、福島家改易、本多正純改易、どれも理不尽な理由で強行してるよね

はっきりいって正義がないと、当時でも批判されてるけど強権で押し通すことで幕府の権威を絶対的に高めていったんだけど

豊臣家が健在でもやれたかなと

まあ考えてみるのも嫌みたいだから回答は求めないよ

329 人間七七四年

>>328

それできない理由がどこかにあるかな?

坂崎だけは千姫の遺恨が原因だろうから無いと思うが

てっきり皇室に対しての圧迫のことを言ってるのかと思ったけどそうじゃないんだね

349 人間七七四年

大恩人の秀吉死後に幼い秀頼の後見人の地位を利用して

豊臣政権を乗っ取った手腕は確かに素晴らしいけれど

卑賤な身分から実力で成り上がり織田家の興隆を支え

華々しい大勝利の連続の末に

全国統一政権樹立という未曾有の大偉業を成し遂げ

唐朝鮮との大戦を戦い

全国に豪奢な寺社城郭を残し

勇壮な桃山文化を演出した秀吉に比べたら

どうしても見劣りするよね

361 人間七七四年

>>349

家康が秀吉から受けた大恩とやらを教えて欲しいんですが

366 人間七七四年

>>361

スレチなんでもう終わりにするけど

上杉・真田・木曽が秀吉についた時点で

家康には戦って滅ぶか従属かのにどちらかしかなかった

討伐令もすでに準備されていた

それでも秀吉は最大限の譲歩をして家康を政権に迎えたんだから

大恩人と言っても言い過ぎではないんじゃない?

367 人間七七四年

>>366

スレチなら最初から書き込まないで欲しいんだけど

秀次を抹殺して政権を不安定にし、徳川政権の礎を築いたんだからある意味大恩人だね

369 人間七七四年

結果論から見て大恩人とか言われてもな

関ヶ原後、形式的には豊臣家の面目が立つ様にしてたけど

親父の七回忌にも十三回忌にも大坂城に引き籠もりで

結局諸大名に見捨てられた豊臣家が公儀だったと言われてもなぁ

374 人間七七四年

>>369

普通に考えて欲しいのは、秀吉が死んだ時に秀頼本人にパパと同じくらいの能力がなければ豊臣天下を維持するのは不可能という事。

秀吉だって信長の息子達から権力奪ったやろ。殺して。

だから秀頼無理かな〜?

376 人間七七四年

>>374

そもそも秀吉に体制構築の能力がまったくないから豊臣は崩壊したわけで

秀頼本人に秀吉と同じくらいの能力があっても無理だろう

415 人間七七四年

>>407

「二重公儀」を「二重に公儀が存在する」という意味で使わないのなら、

誤解を受けないように「二重」「公儀」を使わない呼び名に変えるといんじゃないかな。

そうだな、例えばメニャアとかうぎゃあとか、意味のない単語を当てよう。

二重でも公儀でもないものを「二重公儀」と呼ぶよりはだいぶ分かりやすいだろう。

元スレ

二重公儀論について考察する
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1472608426

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