【武田完勝☆】三増峠の戦い【北条涙目wwww】P35
- 1 人間七七四年
-
武田完勝ですがそれが何か?
- 3 人間七七四年
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>>1の野郎、反論を心待ちにしてケツマンひくつかせてやがるぜ
- 54 人間七七四年
-
>>1
書状や講談の数字で話を拡げても意味無いと思うが。
そしてその部分以外に武田方が勝利したと言える下地などない、
だが北条方はそれ以外にも武田方の撤退と殿軍の戦死というはっきりした結果が存在する。
最後の一行だけ同意だ。
- 95 人間七七四年
-
>>1
>>前半で浅利が討ち死にしたら後半で追い返しても関係ないと?
北条勢は三増峠から撤退してない。追い返したというのは何を根拠に述べてるのか?
押しなだれてきたってのはそのまま逃げたって事でしょ?
それを追う事が出来なかったら負けだと主張したいの?被害もはっきりしてないのに。
それじゃ長谷堂合戦で直江が勝ちと言うようなもん。
関ヶ原で島津が徳川に勝ったというようなもん。
上記二つも直江や島津が勝ったと思えるんなら俺はもう何も言わない。
- 128 人間七七四年
-
>>1
ID:RGIwAcDK
連休中は家を空けるからなんかあったら書いといて。
- 129 人間七七四年
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室町幕府自体風前の灯になってる上に、
各地で中央をはるかに凌ぐ軍事力を持った大名が多数居るこの時代で京なんぞ本質的には飾りに過ぎない。
>>1が言ってる理屈は要するに戦国時代の公家と同じ、それも本当に京に居る公家じゃなくて
地方に逃げた公家崩れが地方で実力を持ってる大名に虚勢張ってるのと同じ。
実際は田舎大名などと言う言葉に定義はないので、
>>38のレスは「僕の理屈は正しいんだよバーカバーカ」って言ってるのと同じ、
こんなもん反論もクソも無いのにわざわざ史料つきで説明してくれてるんだから感謝すべき。
- 130 三増峠ってどお?
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スミマセン。>>1の訂正。神奈川県立文化資料館のHPのアドレス。
×hhttp://www.pref.kanagawa.jp/osirase/02/02/19/publication/xhuzo-guide/shuzo-guide2.html
○hhttp://www.pref.kanagawa.jp/osirase/02/0219/publication/shuzo-guide/shuzo-guide2.html
- 131 三増峠ってどお?
-
スミマセン。>>1の訂正その2。
×>>162さんへ。プレッシャー掛け過ぎです。でも期待を裏切らないようにしますよ。
○>>161さんへ。プレッシャー掛け過ぎです。でも期待を裏切らないようにしますよ。
- 596 人間七七四年
-
>>1
それを普通は戦国時代的な意味での一揆と呼ぶんじゃないのか?
とはいえそれが630辺りの言う統治の凄い苦労に値するかと言うとかなり疑問符が付くなw
- 33 人間七七四年
-
正直京に近い西側の領土を抑えられてしかも信玄の西進に軍勢貸すとか従属とまではいかないけどかなりイニシアチブとられてる気が・・・
まぁ北条に天下統一の意思はないしあの時点で織田と武田をぶつければ漁夫れるってのもあっただろうけど
- 34 人間七七四年
-
>>33
単純に関東以外興味なかったんだろう。
逆に関東での上杉戦とかでは兵を借りてる訳だし。
少しでも北条家が京で名を上げる意志があるなら、北条家など名乗らずに
由緒正しい伊勢家を名乗っていた方がはるかに有利だったはず。
それをわざわざ捨ててある意味簒奪者と言っても過言ではない執権北条氏を名乗ってまで
関東を支配した存在にこだわってた訳だから京がどうだろうと別にどうでもよかったんじゃないか
- 35 人間七七四年
-
>>34
御館の乱でも動きが鈍重だしな
うまくいけば能登飛騨まで北条の力が及んだのに
- 38 人間七七四年
-
領土は取れなかったけど手痛いダメージ与えたら勝ちなのか
そ〜か
んでは川中島は上杉勝利でよろしいか?
- 41 人間七七四年
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>>38
もともとあれは領土狙いじゃないだろ。
小田原焼いて3日でさっさと引き上げてるし。
それを追跡してきた部隊を追っ払ったまでで。
- 42 人間七七四年
-
>>41
追っ払えてるのか?何とか逃げられただけでは?
- 58 人間七七四年
-
>>56
浅利信種の死のどこに誇張があるの?
実は死んでなかったの?それは初耳。
信玄が書状で討ち取ったと主張してる氏邦や氏規は立派に生きてたけどね。
- 91 人間七七四年
-
そう考えると北条側の書状は内容的には
もう少しで武田に大打撃を与えられたのに逃げられてしまって悔しいみたいな感じだから
自分たちが勝ったこと前提の書状ってことか?
またそんなことを前提に出来るってことは広く宣伝しなくても北条の勝利だって周りには
思われていたってことになるのか?
- 92 人間七七四年
-
>>91
さぁ?周りの考えなど論拠なしにはどうとも言えない。
ただ北条側はそう考えていたのではなかろうか、ということ。
今のところはっきりしている事を比較しても、北条側が負けを意識する要素は全く無い。
- 93 人間七七四年
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>>92
君は凄いね
- 124 人間七七四年
-
>>ここまで大規模な外交戦は、秀吉の天下統一戦、関ヶ原、大坂の陣くらい
そうでもないよ。
例えば長尾景虎の関東出陣は芦品、関東全体、武田、本願寺、越中、幕府を動かしている。
でも今川の壮大な外交戦略は確かにすごいね。
- 126 三増峠ってどお?
-
>>124-159さんへ。長文で読みずらいのに、レスありがとうございます。
>>158さんへ。
景虎の第二次越山(永禄三年〜四年)は、準備に約10年費やしてますよね。
書き忘れたけど…、謙信は三木もしくは姉小路とも書状の遣り取りをしていたらしく、
「最近、越中金山が不審の動きをしている」と注進してるいるよ。
永禄十二年2月27日付 三木良頼・姉小路自綱父子→謙信宛書状「上杉家文書」より
あと、北条は江戸氏を動かして、義重の不審な動きの真意を探っています。
>>159さんへ。
簗田を通して足利藤政を鎌倉に帰還させるという名目で、反北条を糾合させたらしいね。
「第二次薩垂峠の戦い」もしくは、三増峠関連の書状をとことん解読するまで、楽しみにしててくださいね。恐々謹言
- 127 人間七七四年
-
>>126
長文でも面白ければ大歓迎です。
あなたの書くことはいつもためになります。
三増峠を軸にした北条やその周辺の動きは
今個人的に興味がある課題のひとつなので楽しいです。
- 143 人間七七四年
-
削除理由は削除ガイドラインから
削除人さんは消しゴムじゃありません
そんな理由で一々消せるとでも?
sengoku:戦国時代[レス削除]
hhttp://qb5.2ch.net/test/read.cgi/saku/1150003335/112
112:長尾忠景ってどお? 08/09/17 10:40 HOST:KD125054189174.ppp-bb.dion.ne.jp<8080><3128><8000><1080> [@nifty.com]
削除対象アドレス: hhttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1194134285/179n-
削除理由・詳細・その他: スレッドを間違えて、レスを書いたため
- 144 人間七七四年
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>>143
あんたなんでそんなにイライラしてるのw
- 162 人間七七四年
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その深沢も元々武田が占領してたのを落とされて必死こいて取り返そうとしたもの。
- 179 人間七七四年
-
>>162
確かにそうじゃが、それをいうなら北条も綱成開城後に
必死で取り返そうとし3月末まで戦っていたはずじゃ。
そして結局奪還できずに深沢は武田の手に帰し、駿河の攻防は決着するわけじゃ。
武田もそうじゃが北条も十分深沢にこだわっていたといえるのう。
- 214 人間七七四年
-
大勝利と書いてるのは甲陽軍艦だけ。北条側は信玄を取り逃がした程度にしか書いてない。
第一大勝利とするなら具体的にどのような戦略的損害を北条に与えたというんだ?
- 215 人間七七四年
-
>>214
軍鑑だけじゃないよ。残念ながら。
信玄が籠城する北条綱成に深沢で送った書状では
>>223の言うとおり「三増峠の北条勢は前代未聞の見苦しい敗軍だった」と
参戦していた綱成に言って恫喝している。
事実じゃなきゃこんな事書かないし、第一北条勢は古河公方の重臣が戦死している。
- 216 人間七七四年
-
>>215の補足として
信玄自身も2千人余り討取って大勝利を得た、この勝利は神のおかげと書状を書いている。
- 223 人間七七四年
-
実際のところ公正な記述なんてない。双方都合のいいように書いてる。
ただ、甲陽軍鑑の武田びいきな記述が有名になって武田の大勝のようなイメージが広まったが、
詳細は不明ながら両上杉や古河公方を弱体化させたのは確実な川越と違い、
戦略的に北条に大きなダメージを与えたとは言えない。
ただ信長の金ヶ崎同様信玄の窮地を無事に脱した撤退戦だったと言えるだけ。
- 224 人間七七四年
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>>223
なんか強引じゃないか?
戦略的にはこれで小田原焼き打ちからの
越相同盟への楔と反北条連合への宣伝が完全なものになった。
この二つの因子によって北条の戦略は崩れ信玄が駿河を獲得する。
その意味でこの三増峠の戦いは十分に戦略的意味を持つ。
第一戦略的かどうかじゃなくても「前代未聞の見苦しい敗軍」だなんて
参戦してた将が言われてしまうような状態は、十分大勝利だと言えると思うが。
金ヶ崎はその後につながる戦略的因子を残さなかったし相手に打撃を与えてもいないが
信玄は戦略的因子を残し、相手に打撃を与えて追い払ってるんだから違うだろ。
- 226 人間七七四年
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>>224
所詮恫喝な上結局無視された矢文の内容なんて話半分に見るべき。
実際は痛み分けと言われてるところ、誇大に事実をすり替えてることもありえる。
何も相手を脅すのに本当のことを言う必要もないし。
- 304 人間七七四年
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ってことは一次史料にはやっぱ綱成の参戦は無いのか・・・
となると>>224あたりの意見は前提が間違っているのか。
- 227 人間七七四年
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>>226
痛み分け、っていうのが定説化されてるわけじゃないんだが。
だからそれなら参戦してた綱成にわざわざ三増峠での北条勢の敗北の様を
示す意味がないと言ってる。
痛み分けなら恫喝のネタにならんだろ。まして相手は参戦者なんだから。
なんでこれで話し半分にみなきゃならんのやら。
普通に北条が大敗しててその様を示して恫喝のネタに使ったけど
豪気な綱成がそれを跳ねのけただけだろ。
結局その一月後には開城するけど。
- 228 人間七七四年
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「また三増峠みたいに無様に負けてえのか?おぉコラァ!」
「え?あれはいいとこ引き分けだったはずだけど?」
「ハァ???何言ってんだ俺の勝ちだよ勘違いしてんじゃねえよボケェ!!wwwww」
「うーん、言われてみたらそんな気がしてきた…」
みたいなことを狙ったんだろ。
ま、結果的に失敗したわけだけど。
- 229 人間七七四年
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>>228
都合よく考えすぎだろ。
君の中の綱成は記憶障害者か何かなのか?
「前代未聞の見苦しい敗軍で諸軍の嘲りの的だったよな」なんて
事実無根で言われて信じ込むようなやつなのか?
そして信玄がそれを期待するような人物なのだと。
戦国武将をなめすぎだろ。
- 231 人間七七四年
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>>229
状況考えろ。冷静に外交やってる時の文書じゃねえぞ。
殺し合い罵り合いの戦場の矢文が貴重にも残っていた。
大抵はこんなもんざけんなボケと破り捨てられる。
- 230 人間七七四年
-
「関東は全部この信玄のもんだと天命で決まっとるんじゃあ!!」とか
「援軍呼びたきゃ呼べ一大決戦も受けてやるわ!!」とか
とかくでかい事ばかり書いてある内容なんぞにどこが信憑性あるのやら。
- 233 人間七七四年
-
>>230
前半のは恫喝だし、援軍よびたきゃ呼べよ、決戦しようっていうのは別に
でかい事でもないと思うが。
第一、三増峠だけでなく、蒲原に立てこもっていた北条一門皆殺しにした事や
駿府で岡部を説得して開城させた事や、薩睡砦が自落した事や、
花沢城を攻略して守将が他国者だから解放したこととか
堅実な戦果もしっかり書いてあるんだけど。
- 234 人間七七四年
-
>>231
実際しっかり残ってるんだから仕方ない。
書式も北条綱成に対する敬意をこめた文章だしな。
その書状の中で信玄は北条綱成とその部下たちを
北条家随一の衆と呼びたたえている。
綱成もうれしかったろうよ。
- 236 人間七七四年
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>>233
さすがに嘘ばっかりと言う訳にはいかんだろう。
都合のいい成果だけは具体的に伝えるのは氏照の時でも指摘してなかったっけ?
>>280
その辺も使い分けだな。こき下ろすだけじゃ反発されるので持ち上げもしておくと。
あくまで記録文書じゃなくて降伏勧告だからな。
>>281
綱成の武勇を認めていたのは間違いないね。忘れていった旗を家宝として後世まで大事にしてたくらいだし。
だからこそ矢文にしてはやたら手の込んだ長い文章にしたのでは。
- 794 人間七七四年
-
>>234
寂しい、か
高校のころ同級生の女の子と後輩の女の子から言い寄られて遊び、別高校の先輩と付き合った
大学行って彼氏持ちの軽音楽部でヴォーカルやってる女の子と部室でHしながら
オケ部で宣伝PVにも出る看板娘、栗山千明似の美術部の子を家に連れ込んで
結局はサークルの先輩と付き合ってこの前のバレンタインデーもいちゃらぶデートしてきた俺の人生が寂しいのであれば
お前の人生はさぞ充実してるんだろうな
- 237 人間七七四年
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>>236
言ってることめちゃくちゃ。
三増峠についてもしっかり具体的に書いてる。
つーか参戦者に対して嘘をつくってどうするんだよ、ばからしい。
小田原焼き打ち、三増峠、蒲原から薩睡、駿府、花沢、といった深沢城攻防戦に
いたるまでの武田の戦果を羅列してその一環で三増峠が出てきてるんだから
うそばっかりとかいう問題じゃないだろう。
言ってることおかしすぎるだろ、君。
- 240 人間七七四年
-
三増峠の戦いを局地戦と見ても>>237の言ってることの方が具体的で説得力を感じた
それが駿河を睨んでの戦略的観点から見れば、尚更>>283の言ってることの方が頷ける
北条負けてないって言ってる人って「ただ負けてない負けてない騒ぐだけで」
全然、具体的じゃないんだよな
なんか、ただの感情論に走ってるような印象を受ける
- 242 人間七七四年
-
>>240
正解
- 252 人間七七四年
-
武田:駿河丸取り☆
北条:越相同盟とその破綻という迷走ぶりで小田原を焼かれた上、三郎を上杉に取られたただけ
- 270 人間七七四年
-
上杉との同盟に楔をうったというが、
人質も交換して実際越相同盟が機能しだすのは1570年からじゃ・・・?
- 273 人間七七四年
-
>>270
小田原侵攻から三増峠前後の北条の書状を見ると
北条は武田が小田原に侵攻してきたのを見て
上杉に出兵を要請しまくっている。
だが結局上杉は動かず北条は小田原を焼かれ、三増峠でも撃破される。
これを受け北条は加勢がなかった事を上杉に批難し
勝手に越中を攻めてろよ、的な嫌味を書状で述べたりしてる。
北条と上杉の同盟が絵にかいたモチだった事が明白に示されてしまった。
さらには1570年に氏康の譲歩によって上杉に対する三郎の人質提出と
上野および武蔵北部の提供がされた後も、謙信は下野を攻めたり越中を攻めたりで
武田と本格的に戦う事はついになかった。
やがて駿河が武田に攻略され、氏康が病に倒れると氏政達はとたんに武田との再同盟を模索するようになる。
執着していた氏康を除けば両家の信頼関係はぼろぼろだったとみていい。
- 275 人間七七四年
-
でもそれって三増峠は関係なくないか、それ以前も一向に謙信は武田へ攻撃しなかったのだし
もともと同盟結ぶのに無理があったとしか思えん
この合戦の直後ぐらいに上野に出兵して信玄を警戒させたぐらいしかしていないし
- 279 人間七七四年
-
>>275
関係大ありだろ。
氏康はできると思って越相同盟を企画したが
信玄の小田原侵攻から三増峠の動きによって結局無理だった事が
明白に示されてしまった。
ここまで無理な事がはっきり示されたのも珍しい。
>>323
北条5代記は軍配で太刀を止められるわけないだろ、って意見だし
参考にしたという割には全然三増峠の描写が違うんだが。
>>324
面倒なやつだな。
該当部分を書いてあげるからちょっと待ってな。
- 285 人間七七四年
-
>>279
何故って、それ以前の駿河出兵でも武蔵出兵でも上杉役に立ってないし、何で三増峠だけ取上げるのか
結局上杉はかろうじて三増峠の後に関東に出兵して信玄を警戒させて、信長に仲介頼ませるぐらいでさ
- 287 人間七七四年
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>>285
北条は預かり知らぬことではあったが
信玄が第一次駿河侵攻の後で甲斐に戻った後
甲越和与を成立させているからな。
将軍や管領職の権威をフル活用していた謙信にしてみれば将軍を通じて行われた
この和与は拒否しがたかったのか、それとも北条にいっぱい食わせるためにあえて乗ったのか。
北条にしてみれば上杉は駿河や武蔵では動いてくれないが、それは局地戦だからで
ここぞという時には動いてくれるだろう、という期待があっただろう。
そして本拠小田原に信玄がなだれ込んできて北条が何度も救援要請しても無視。
小田原が焼き打ちされ三増峠で敗れても知らん顔。
本拠が襲撃されても助けてもらえないというのは明確な信用不信だと思うが。
氏康を除いて北条家臣や氏政に与えた衝撃は大きかっただろう。
- 299 人間七七四年
-
>>287
上杉は上洛のため北進したかったから、
さっさと関東の情勢から切り抜けたかったんだろうね。
- 300 人間七七四年
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>>299
んんにゃ
あの女は病で倒れる前にしっかり関東征伐する気満々だった
あの女としては北条はいずれ倒さねばならない相手
一時的に手を盟を結んだからといって共に武田を倒そうとは思えない仮想敵国
間違っても上杉領に攻めてこようとは思わない武田を潰して北条が台頭するよりも、大人しくていい子の武田を生かして北条に釘をうっておこうとしたのだろう
どうせ武田北条は決着つくわけねーし、お互い消耗するだけならやらしときゃいいわって
- 305 人間七七四年
-
>>304
>>270はもともと戦略的意味を残してる事を述べているし
第一、武田遺臣、北条遺臣の記した2次資料すべてが綱成参戦を肯定してるのに
何を間違ってるというのか。
- 307 人間七七四年
-
逆に言えば二次資料にしか無いという事では
その上、軍鑑は北条五代記に影響を受けているし、北条記は成立年代不明で信憑性が怪しいものだし。
何を間違っているって具体的には273
- 308 人間七七四年
-
>>307
全然影響を受けていないんだが。
5代記では軍鑑と全然三増峠の書き方が違うし、
第一5代記では軍鑑の太刀を軍配でとめられるわけないだろ、っていってるんだから
むしろ否定だろ。
>>273を間違えている根拠なんか何もないはずだが?
- 309 人間七七四年
-
>>308
>第一5代記では軍鑑の太刀を軍配でとめられるわけないだろ、っていってるんだから
明らかに軍鑑を読んだことがあるって証明じゃないか?
影響を受けているからってすべて同じに書くわけでもないだろうに、それじゃ盗作じゃないか。
>>273は綱成が参戦していることが前提
でも1569年の信玄書状でもこの時の矢文でも他の一次史料でも、綱成の参戦には一言も触れていない。
まあ氏照氏邦なんかと同格というわけでは無いので省略という可能性も考えられなくも無いが、
それにしても綱成が参戦していたなら矢文でそのことに触れるのが普通だと思うが。
- 310 人間七七四年
-
>>309
そんな事をいうなら影響を受けた所をあげられるわけで?
すべて、どころか全く違うんだよ。この二つの2次資料における
三増峠の書き方は。
仕方あるまい。書状でいちいち一武将の名前すべてをあげるわけもない。
軍鑑は武田遺臣の中枢にいたものの口述筆記を原本としている可能性が高く、
5代記は北条遺臣の三浦が記している。
さらに北条記にいたるまで綱成参戦を記している。
ないよりはあるとみる根拠のほうが明白だな。
そもそも武田の戦果を記した一環で三増峠が出てくるのだし。
- 422 人間七七四年
-
四万も動員しながら二万の武田にフルボッコされた北条
- 426 人間七七四年
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>>422
甲陽軍鑑では北条勢は六千らしいけどね
単純にその兵力差が出たのだろう
- 443 人間七七四年
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>>426 >>499
氏照達を6千7千としてるのは信玄書状であって軍鑑じゃない
- 446 人間七七四年
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>>443
書状が正しいのであろう。
損害については武田側2,000(諏訪家文書、信玄書状。但し甲陽軍鑑では3,269)、
北条側1,000(北条五代記)のようだね
損害は別にしても、とりあえず北条勢の追撃は撃退したのであろう
- 451 人間七七四年
-
北条方は武田の重臣、浅利を討ってるのが大きな戦果だな
氏照は「勝った」という書状さえ出しているようだ。最終的に撃退されているはずだが。
まあ、「勝利」と「敗北」の定義が難しいけど、追撃戦で追撃される側(武田)が
どの程度の被害に抑えて敵を撃退すれば「勝利」なのか・・・
俺的には追撃戦で「勝利」とか「敗北」って無いんじゃないかなって思う
無論、双方相手の大将を討ち取れればそれは「勝利」と言えなくもないが。
- 560 人間七七四年
-
武田も駿河を得てもむしろ投資しただけ損だったからなあ
- 564 人間七七四年
-
>>560
なんで損?
立派な勝利だったろ
てかその理屈は全部丸ごと無駄だった織田を皮肉ってるわけ?
>>628
北条のほうがしんでるし、武田は普通に大勝利
>>629
織田とかまさにそれだよな
>>630
ぼろもうけだろ
駿河丸取で北条とも再同盟
- 566 人間七七四年
-
>>564
取れなかった?
何をいってるんだ?
普通に駿河を完全制圧してるぞ
統治も苦労した形跡はみあたらんが
何をいってるんだ?
- 567 人間七七四年
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>>566は>>632宛
「かけた分」って言葉自体も謎だし、何をいってるのかよくわからん
- 568 人間七七四年
-
>>566
徳川はおろか今川ほどのあともないじゃないかwww
- 569 人間七七四年
-
>>568
あともない、って痕跡の事か?
それなら武田があちこちに築いた城もあるし、
行政を行った書状とかもあるぞ
何がいいたいのか正直意味不明すぎ
- 574 人間七七四年
-
自分のソースは
一揆は1572年の誰か宛の感状、駿河の蒲原辺りの一揆を鎮圧して云々という内容。
税制は確か戦武の目次前の付録みたいに付いている小論文、4巻か5巻だったと思う。
- 577 人間七七四年
-
>>574
よければ1572年の何月かをおせーて
書状番号でもいい
後はこっちでも見れる
- 578 人間七七四年
-
織田は領地の拡大速度に人手が追いついていってない感じだ。
もっとも急激に領土拡大した家はみんなそんな感じで、
重要なとこだけ確保して他は在地勢力に丸投げ、
在地勢力をそのまま取り込むって感じ多い。
>>577
何月かさえ覚えていない、正直1572年かも自信が無いが・・・
ただその感状は多分3巻であったはず、
ちゃんと感状の中身まで読まないと分からないから、
上の情報だけで調べるのは大変だろうと思う。
一月ぐらい待ってくれれば調べてくるが。
でも今図書館閉まるの早いんだよな・・・
- 580 人間七七四年
-
>>578
お疲れさん
俺も最近はリアル忙しくて
色々大変だわ
いくつもの資料を全部あたるとかかなり大変
できれば手がかりが欲しかったが・・・まあ仕方ない
- 594 人間七七四年
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>>580
戦武1881
山梨県史だと番号は分からない
1572年5月16日原市川から小栗彦三郎宛の朱印状、
感状では無かった。
去る2月5日油野口(芝川町)において不慮の一戦のみぎり云々〜
でその時真っ先に帰参してくれたので褒美に知行として富士川のどっか与えるという内容。
閉館時間が迫っていたので日数と軽く内容確認したのみ、つか昔は貸出可だったのに・・・
日付と場所から北条との再同盟後もごたごたが続いていたと見るのが自然、
駿河の動乱時に、一揆組んで離反武田に不服従といった地域があった模様。
- 597 人間七七四年
-
>>596
武田としては北条という敵がいなくなって
心置きなく富士大宮完全掌握に乗り出したって事であって
5月には戦後処理や富士大宮完全掌握達成と思われる書状が大量に出てる事を考えれば
富士大宮の抵抗は2月から4月の3ヶ月程で、それも結局使節の交渉で決着してるようだから
それ程の血は流れてないようだな
これで統治に凄い苦労とか言われると無理ありすぎというしかない
- 611 人間七七四年
-
旧武田領は、武田がいいってゴネた形跡あるのか?
- 612 人間七七四年
-
>>611
多分ない
反織田の一揆が起きたのは本能寺後だから
勝ち組?につこうとしたとか単なる落ち武者狩りの類だと思うし
- 613 人間七七四年
-
>>612
多分で答えるのはどうかと思うが
信長生存時に既に信濃では8千人規模もの大規模一揆が起きてる
これは信玄時代はおろか、勝頼時代にすら無かったほどの大規模一揆
さらには甲斐衆の暴発は、暴政をしたとして後世にまで恨まれている織田の支配層に対して行われたものだから
落ち武者狩りというのはありえない
勝ち組につこう、というのも甲斐衆は河尻をはじめとした織田支配層を殺した後で
帰属をどこにも決めずにしばらく過ごしているから、これまた勝ち組とかいうのもありえない
単純に織田の政治が嫌で嫌われたか、武田の政治を懐かしんだか、どっちかだろう
- 691 人間七七四年
-
3年以上前のにレスするのもあほっぽいが
>>1
>>613
感状なんて翌日どころか当日に出る物だってあるぞ。
- 618 人間七七四年
-
つか織田の占領行政が嫌われたのが理由なら武田領全土で一揆が起きてるはずじゃね
- 619 人間七七四年
-
>>618
武田領において織田が占領行政行って支配したのは甲斐と信濃
駿河は徳川のものになってる
その甲斐と信濃で両方とも国中反織田で一揆がおきてる事を考えれば
どう見ても占領行政で嫌われてるだろ
家康が占領した駿河じゃそんな事なかったんだし
- 621 人間七七四年
-
>>619 >>692
野良犬だがよ、8千人って数はどこから出たんだ?妄想かw?
- 622 人間七七四年
-
>>621
信長公記の記述
信長万歳の厨でもなぜか信長厨御用達の資料に書いてあるこの記述をスルー、ってか大抵しらない
なんでかしらないが
- 658 人間七七四年
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軍記ブームで捏造豪傑が生産されたからね。
綱成とか伊達の成実とか毛利の元春とか
妄想武勇伝しか無い。
- 720 人間七七四年
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小田氏治は何度負けてもへこたれず謙信相手でも野戦を挑んだ見上げた漢
民草も応援したくなるというもの
城に引き篭もってガクブルってた氏康とは雲泥の差
- 764 人間七七四年
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越相同盟崩壊と甲相同盟再成立と
信玄の思惑通りになったじゃん。
元スレ
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1194134285