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【河野・安芸】四国の戦国大名 その2【長宗我部】

この話題の盛り上がりグラフ
2018-06-24 11:35:29 最終更新
1 名無し議論スレにて投票方法審議中

四国地方の戦国大名について語り合うスレです。

瀬戸内、淡路、豊予、太平洋側の水軍(海賊)の話もOKです。

四国は三好、長宗我部、村上水軍だけじゃないはず!

【河野・安芸】四国の戦国大名【長宗我部】

hhttp://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1149000541/

12 人間七七四年

伊予は水軍が発達して交易が盛んだったろうから

湯築城下はかなり賑わってたんだろな。

石高も32万石(伊予全体で)とまずまず豊かなほうだ。

河野家の当主がもうちと出来た人物だったらな。

14 人間七七四年

>>12

河野通直の後継を娘婿の来島通康にする話がすんなり通ればよかったのにね

97 人間七七四年

>>14

最近は、来島騒動は、通直の後継争いなどではなく、

親大内派と親大友派の争いで、親大友家臣団が晴通をかついで

通直に対抗したもので、当時の西日本の情勢の変化に影響された結果だと

いう研究があるね。

っていうか、来島通康も晴通も通宣もみんな通直の実子だそうだし。これが事実なら、

通康は妹とケコーンってことに。萌える。

61 人間七七四年

江戸時代の来島氏って、九鬼氏みたいに内陸の大名家になってるんだな。

62 人間七七四年

>>61

関ヶ原合戦の際、当初は西軍として村上水軍と共に伊予の東軍方を攻め、

のちに東軍側に加わって、豊後国の内陸部に1万2000石を賜っています。

九鬼氏同様に徳川幕府の水軍封じ込めの一環だと思われますな。

村上水軍は東軍の加藤嘉明居城を攻めた際に当主の元吉が戦死、嫡子は

毛利氏の船手方として周防国三田尻に移り、海賊衆の伝統を残したのとは

対照的ですな。

63 人間七七四年

>>62

時代を下るにつれて、水軍の技術は失われていったんでしょうな。

残念なことです。

64 人間七七四年

>>63

同感ですな。

ただ今でも周防から長門あたりには「○○丸」等の船名のような苗字の方も

おられますが、もしかするとその名残りなのかも知れませんな。

65 人間七七四年

>>64

「〇〇丸」の元は船の名前ではなく、小高い丘のことを「丸」と俗称することに由来すると思われ。

西日本(北九州と山陽)に多い苗字らしいので、船名を由来とする家も中にはありそうだけどね。

67 人間七七四年

>>65

ご指摘に感謝します。

確かに城の「一の丸」などの呼称もそうでしたな。いや、これは失礼!

私の知り合いは長門の漁師の出で「今朝丸」と申したもので。

99 人間七七四年

>>97

全くの空想なんだがその場合は通康の妻が実は来島村上氏の出だったて可能性は?

100 人間七七四年

>>99

まあ、来島通康の妻として有名なのは河野通直の娘だけど、

宍戸隆家娘もいるからね。

来島の末裔の誰かが、河野氏の総領家としてふさわしいのは、

我が来島だ!として、通直の娘婿だったんだぞ、さらに通直は

通康に家督を譲ろうとしたんだ!くらいのことをでっちあげたのかも。

なにしろ、河野氏って、戦国時代は弱弱で、これといった実績もないくせに

支族末裔はえらい多いし、何故か伊藤博文までが河野氏の出と言い出す

始末。正岡子規や秋山兄弟がが河野の末裔を名乗ったのは、同じ松山だからわかるとして、

なぜ、伊藤。明治時代の西瀬戸内は突然の河野氏ブームだったのか。

115 人間七七四年

石川氏、金子氏ともに在地豪族で、室町期以前より河野氏配下だよ。

細川氏は東予二郡守護とはいっても、当時の中予以西は河野氏の勢力圏内。

しかも南北朝期には敵対関係となったこともある両者だから推して知るべし。

石川氏の居城とされる高峠城も元々は細川氏に対して河野氏が築き家老の

石川氏に守らせたもの。

この後、戦国期に石川氏は河野氏からの独立を企て、阿波の三好氏を手引き、

却って河野氏に攻められて弱体化、更に長宗我部元親の攻撃に降伏。

石川氏の家臣だった金子氏は主家の衰退をみて独立を図って長宗我部氏と

密かに通じて、長宗我部氏に東予への楔を打ち込ませたんだよ。

122 人間七七四年

>>115

宇都宮氏も西園寺氏も河野氏配下だよと言うのと同じ位には

石川氏や金子氏も河野氏の配下と言えるかもね。

新居、宇摩の石川氏は河野氏系列ではなくて、元は備中守護細川氏の配下の

石川氏系統だったような気がしたのだけれど違いました?

124 人間七七四年

>>122

何かイヤミな物言いだよね。

そこまで言うならご自分で調べてみたら如何かな?

126 人間七七四年

予州家と宗家の抗争は約百年も続いたのね

161 158

レスどうもです。

いましたよね。

ほかに萩野、浜田、細川、横山、豊永、吉田、谷、佐竹。。。

どうしてこんなに多いのかというと香北町(野中家の居城があった−芳野城)の隣町、

土佐山田町の山田小学校と鏡野中学校の出身だからです。

小中のみを通じてみると、私のクラスメートで野中姓は3人いました。

そのほか長宗我部氏に敗れた山田氏関係で言えば、山田、楠目、西峯もいました。

香北町には萩野、五百蔵といった地名があるし。

162 人間七七四年

>>161

こちらは高知市内で高校まで育ったんだけど

前述のような長宗我部遺臣の姓がゾロゾロでした

あ、私も遺臣の子孫だったwww

163 158

こんな時間まで起きておられてお疲れさんです。

ところで長宗我部氏遺臣というとき、どうですか、

家系図とかで確認しています?

うちは両親ともに家系図のほかに町史や村史で確認していますが。。。

そのあたりどうです?

164 人間七七四年

>>163

いえいえ、貴殿こそ乙です

もちろん史書類、家系図をはじめ寺の過去帳などなどですね

ちなみに家系図は先日、新調しましたw

165 158

>>164

子孫としては万全ですねぇ。すばらしいです。

166 人間七七四年

>>165

いえいえ、それを子々孫々に伝えていくのも私の仕事かと

思っておりますのでw

お互いに頑張って残していきましょうね!

176 人間七七四年

一条の遺臣なのね。

181 人間七七四年

ヤフー知恵袋でも同じ質問をしていますので、御存知の方がいらっしゃいましたら、回答お願いします。

河野通秋について

hhttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=1322523158

182 人間七七四年

>>181

教通の弟(子ではありません)の通秋とは別人ですね。

教通の弟は一時期教通の跡を継ぎましたが教通よりも先に亡くなっていますので、

生年も没年も15世紀の人物になります。

吉見氏の食客として出てきている通秋については私もわかりません。

吉見広頼の娘が河野通直に嫁いでいますので伊予を失った後に

吉見氏を頼った河野一族がいたのかもしれませんが、

萩藩毛利氏の閥閲録にはそれ以前から毛利元就配下で活動している

伊予出自を謳う河野氏もいたようですのでそうした流れの人物の可能性もあるかと。

生没年がはっきりしているようなので、吉見氏関連の史料に詳しく出ているか、

位牌でも現地に残っているのかもしれませんのでその辺の詳細がわかれば

何らかの手がかりになりそうですが。

字が違う河野通昭であれば河野通宣(左京大夫)の子で後に築山氏と改めた系譜がありますが

年代が微妙にあわないように思います。

通昭あるいは宍戸氏から入ったとされる通軌など、竹原で亡くなった通直以後の系譜として

築山本河野家譜に現れる人物についてはどこまで1次史料で確認されているのかは

私も興味があるのですがあまり論じられているものをまだ見たことがありません。

こちらでも質問されるとまた別の情報が得られるのではと思います。

hhttp://www.ehime.net/bbs/yuduki/index.html

183 人間七七四年

>>182

御意見ありがとうございます。

とりあえず、教通の子でないという事がわかっただけでも収穫です。

河野氏の一族が毛利に入っているのは知っていたのですが

河野家没落後に入った連中と、その前から入っていた連中との区別が難しいので

どっちなのかなーと思いまして。

紹介されたリンク先でも聞いてみますね。ありがとうございました。

192 人間七七四年

私の親の里が香川県の丸亀・旧・鵜足郡(飯野山南西・土器川中流周辺)なのですが、

戦国当時、鵜足郡はどの豪族が治めていたのでしょうか?

香川氏(観音寺周辺)、羽床氏(讃岐中央南部)、奈良氏(宇多津周辺)と考えているのですが、

上記三氏の中間地帯あたりにあるので、イマイチわからず気になったのでカキコさせて貰います。

お詳しい方居られましたらお教え下さい。

274 人間七七四年

>>192

もともと奈良氏は細川氏は鵜足・那珂の2郡をもらっていた。

拠点は宇多津の聖通寺城。

三好政権の時代になると、三好家から課せられた軍役で領内は荒廃、

香川氏の調略と侵攻によって那珂を獲られてしまう。

その後、長宗我部氏の侵攻にあたり、阿波勝瑞へ逃げ、

中富川合戦で数百名の家臣と共に当主も討死。

四国の役の後には仙石氏が入部。

仙石失脚後は生駒親正が入るも、高松に移ったため聖通寺城は廃城。

その他、鵜足の戦国期のマイナー豪族だと、三谷氏、小川氏、高木氏、増田氏、長尾氏など。

ちなみに那珂の丸亀城は元々、奈良氏の支城。

200 人間七七四年

アンジェラ・アキって安芸氏の末裔か?

227 人間七七四年

「西園寺十五将」って呼び名だけはカッコいいよね?

全くと言って良いほど知られてないけどw

230 人間七七四年

>>227

〜四天王、とか

〜何人衆とか

〜何勇士とか

そういう奴って大概活躍してないよな、まとめてよくやく1つの勢力扱いみたいな

232 人間七七四年

>>230

仁井田五人衆をなめるなよ!

もちろん「まとめてようやく一つの勢力」だけど・・・w

250 人間七七四年

>>247

そういう事だよ

ほとんどの領主はいかに勝ち馬に乗るかしか考えてないじゃんか

「四国を統一する」とかメンドクサイしできるかどうか分からんからって感じで

とりあえず引きこもって温々してる奴らばっかだしね

外に出ようとするより内輪もめを収集するのに忙しいしね

272 人間七七四年

戦国四国の動員能力って、どう考えても1万石≠2500人は行ってるよな

旧参謀本部(の見立て)も裸足で逃げ出す余裕の総動員振り

273 人間七七四年

>>272

水増し親告とか誇大記録じゃなくて?

276 人間七七四年

>>273

参謀本部の論法で計算すると、戦国四国全土の合計石高でも動員できるのは2万人を切るぐらい。

長宗我部は土佐と阿波・讃岐それぞれ半国ぐらいの石高で、2.3万人も動員して十河を攻めてる...

やっぱり中富川の合戦時の兵力は誇大記録なのかな?

275 人間七七四年

>>274

細川氏は…×

細川氏に…○

失礼しました。

277 人間七七四年

>>276

誇大に記録されてるのが半分、一領具足で根こそぎ動員っていうのが半分では?

大体3万人が楽々動員できるならもっと早くに阿波も落とせてるだろうし、

伊予の中心部まで攻め込めてるだろうに。

278 人間七七四年

>>276

引田合戦の際も長宗我部は白地より2万の軍を率いて讃岐に向かっていますね。

別働隊として香川氏の西讃、大西氏の西阿から計5千が動員されている所を見ると

土佐と東阿が中心となって2万動員されている、ということになります。

おそらく讃岐で合流した東讃諸氏の数も含まれているとは思いますが…。

これも誇大でしょうかね。

283 人間七七四年

>>277

2.3万人と言うのは2万3千人の事です。

ややこしい書きかたして申し訳ない...orz

279 人間七七四年

讃岐の戦国時代は面白そうだけどあんまり扱われてないのは

やっぱり武将たちが江戸時代を迎える前に一掃されて大々的に語り継がれなかったからかな…

香川氏牙城の天霧城が史実は早めに和睦したはずの長宗我部に攻められたという言い伝えもあったりと

秀吉の家臣の生駒氏の半世紀の支配によるゆがみも大きそうだ

281 人間七七四年

>>279

ノブヤボとかじゃ一緒くたに三好勢力にされてますが、

香川、香西などは同盟結んで三好長治に抗ってますよね。

その間も毛利や河野、織田と通じたり。

長宗我部侵攻の際も十河の言うこと全然聞かないし。

ただ、やはり全体的に地味…ですね。

280 人間七七四年

江戸時代の四国は地栄えの大名がな…

284 人間七七四年

>>280

いませんねぇ。

それどころか戦国期に四国で活動していた家について江戸時代の禄高ランキング作ったら

陪臣まで見ても地元に残って取り立てられるのも小身ばかりで、大身がほとんどいなくて悲惨なことになると思います。

試しに私の知るところだとこんな感じ。石高は時代とともに変わるのもあって大まかですが。

1. 久留島家(豊後森、大名)15000石。唯一の大名家

2. 村上家(村上景広系)(細川家)10000石。村上武吉の従兄弟。忠興に重用されるも次代かその次で致仕

3. 村上家(村上彦右衛門系)(福島家、紀州徳川家)5000石。来島通康の子、紀州徳川家に召し抱えられて続く

4. 村上家(能島系)(毛利家)3000石。武吉の子、元吉の系統。景親の系統も毛利家に残る

1000石を越えていそうなラインだと他に萩藩の因島村上家とか紀州藩の村上吉継系などがありますが、

ってここに挙げたのは全部村上水軍になってしまいました。

あとは長宗我部系で藤堂とか細川に仕えた人たちがいたはずですが、

この人たちはそれなりの禄を貰ってそうです。

阿波、讃岐で探すと縁がありそうなのは三好政勝系の旗本ですが、三好も康長系はともかくとして

政勝だと四国というイメージがあまりないのですけれど。

ということでフォローがあればぜひ。

282 人間七七四年

>>281

戦国時代も信長以降だと単なる地方勢力になってて地味だけど

細川政権まではむしろ細川京兆家の内衆として畿内の情勢に深く関わってたから

重要な存在だと思うんだがなぁ。

だがやはり細川もその後の三好没落するしでやはりあまり語り継げない、それを足掛かりにして研究もできないじゃ

評価されないのかな…。

讃岐に限らず織田以前の畿内とその周囲ってなんか神聖ローマ帝国にも似た扱いの悪さな気がする

289 人間七七四年

>>282

おそらく畿内の戦乱はドロドロした金や権力絡みがほとんどなので、

普通の人にはキナくさく思えてしまうのでしょう。

個人的に好きな時代なんですけどね、戦国前夜って。

315 人間七七四年

土佐って讃岐や阿波みたいに畿内の争いに深く関わってなかったの?

317 人間七七四年

>>315

土佐も細川氏の領国で応仁の乱には長宗我部・大平・安芸ら諸氏が

在京したようですが、土佐での細川氏の権威は徐々に失墜。

その頃、下向してきた一条氏を求心力として国人領主の間では

一時的に平和が訪れたものの、畿内での細川氏内紛に絡んで

守護代一族も土佐から離れると、再び国人領主間での争乱状態。

土佐での細川家有力被官だった長宗我部氏とて所詮は寺奉行程度、

それも他の国人領主らに反長宗我部連合を組まれるほどで阿波の

三好氏らほどの力もなく、畿内進出の野望があったとしても無理

だったのでは?

318 人間七七四年

>>317

へぇ、土佐にいた細川氏は早いうちに引き揚げて影響はなくなってたってことか。

なんで土佐には京兆家-内衆/同族体制ってのが確固とした形で築かれなかったのだろう

讃岐や阿波では畿内の争いでも守護や守護代は宗家や分家が在国して引き揚げるってことはなかったわけだけど

引き上げざるを得ないほど統制が取れてなかったのかな?

戦国時代に入る前も土佐の支配は弱かったのかな?

319 人間七七四年

横レスですけど。

>>318

単純に遠いから、ではないかと思ってます。

細川氏が四国統一できなかったというのもあるかもしれませんけれども。

京兆家から見れば土佐は飛び地ですし、畿内から近いとも言い切れません。

讃岐は引き上げるも何も有力家臣の根拠地になっていますから他に行く宛もないと思うのですが、

侵略地とも言えそうな土佐では家中で内紛が起これば求心力はなくなりそうです。

河内畠山家にとっての越中と同じような位置づけとは言えないでしょうか??

320 人間七七四年

>>318

再びの補完レスです。

>>319さんもおっしゃるように地勢的なことが主因ではないかと考えます。

応仁の乱では土佐の国人衆も上洛していたものの、讃岐勢や阿波勢に比べて

在京期間は短かったと思われます。それには経済的な事情もあったでしょう。

京兆家の支配体制にしても讃岐のように細川氏と共に入国した部将に分郡の

支配を任せたりするような形跡もありませんし、また阿波の三好氏のように

かなり有能な家宰的な国人も育たなかったと。その為に派遣した守護代の

細川氏ですが、結局は土佐の国人衆をまとめ切れなかった事もあるのでは?

322 317

>>319の補完レスは私ですが、横レスされた>>319さんとは別人ですよ。

おっしゃるように「無駄な自演」などする必要性もないですしね(笑

324 319

私もなんで>>319の内容で自演扱いされてるのかわかりませんが、これも自演カキコ扱いされるんでしょうかww

それはさておき余計なレスで変な流れになってしまい失礼しました。

失礼ついでに、細川氏の話を。

室町期に伊予の新居、宇摩二郡は幕府裁定で細川氏の分郡守護地となっていたと思いますが、

宇摩郡が備中細川氏(野州家)、新居郡が京兆家だったでしょうか。

なのでこちらも京兆家にとっては讃岐から飛び地と言えそうです。

土佐同様に細川氏の統制はとれなくなって、備中細川氏の守護代(?)石川氏の一族が

新居郡に入り、さらに金子氏が台頭して野々市原の合戦に繋がっていく、と。

323 317

間違えてしまいましたので訂正いたします。

「>>320の補完レスは私ですが、横レスされた>>319さんとは別人ですよ。

おっしゃるように「無駄な自演」などする必要性もないですしね(笑 」

325 人間七七四年

>>324

詳しくないので誤ってるかもしれませんが、分郡守護は宇摩郡が野州家、新居郡が備中守護家で、

石川氏は備中守護家の守護代として新居郡にいて、備中の各守護代同様備中守護家の衰退・断絶により

実権を握り、そしてその後国人が台頭したというのが自然でしょうか。

326 人間七七四年

>>325

適当に書いてしまったみたいで、野州家と備中守護家は別物なのですね、失礼。

石川氏は16世紀初頭くらいに通昌が備中から来たという

「澄水記」の裏付けを取られていた方がいたはずですが、

それまでの間の支配はどうなっていたのか……。

ただ、備中守護家も早くに衰退しているので京兆家支配下でなくてもやはり細川氏からは離れてしまいそうですね。

329 人間七七四年

新居・宇摩って讃岐との経済や政治的な結びつきは深かったの?

讃岐弁の境界が新居浜市というけど。

351 人間七七四年

土佐に武田勝頼あるいはその遺児が流れてきて土佐武田氏になったっていうのはマユツバかな

うちの親戚がソレなんだけど

373 人間七七四年

>>351

鎌倉初期。

甲斐源氏の当主武田信義の嫡子一条忠頼が、頼朝に粛正されて

その遺児が土佐にやってきた。

次男の板垣兼信もアボーンされてる。

426 人間七七四年

織田はともかく、羽柴・徳川と連続して滅ぼされたイメージがある四国土着大名たち

とくに罪も無い西園寺家を潰した戸田勝隆は許せねえ・・・

528 人間七七四年

地理的に四国は畿内に近いからなあ…

良くて讃岐と阿波は領土召し上げ、あるいは関東かどっかへの転封は避けられなかったかも

530 人間七七四年

>>528

多分九州だろう

島津潰した後の薩摩大隅に転封とか

531 人間七七四年

>>530

ただその後の歴史が基本変わらないなら、九州は土着の大名を除けば

黒田や細川・小西ら秀吉と関わりが深い武将が封じられてる

畿内から遠い場所でかつある程度の石高がある土地といえば関八州か北陸くらいしかない

山国は流石に酷だろうから、安房と下総あたりで落ち着きそう

本能寺の時点で秀吉支持をしてれば土佐と伊予までは安堵かもしれない

転封の場合は安房と下総にくわえて上総かな

533 人間七七四年

>>531

その場合、里見はどこに飛ばされちゃうの?

546 人間七七四年

信長が元親の恭順を拒否した理由は何なんだろうな?

阿波と土佐に恭順した長宗我部を配置して、伊予から毛利の小早川を牽制させた方が

秀吉の毛利攻めも楽になる筈なんだけど。

信長に取り入ってた三好と十河との絡み?

恭順の手紙を明智が故意に信長に渡さなかった?

兎も角、今回の発見は新しい見解を産む可能性がある。

549 人間七七四年

>>546

妄想乙

信長が拒否したかどうかの史料はまだ無い

577 人間七七四年

そいや讃岐の軍記の一篇に由佐長曾我部合戦記ってのがあって、

由佐城の北側からの寄せ手の大将に、元親の末子で小三郎元成ってのがいたけど、他で見ない名前なんだよね。

長宗我部の一族でそれっぽい年の人物っているんかえ。

581 人間七七四年

>>577

へえ 面白いね

なんっていう軍記なん?

584 人間七七四年

>>581

興味持ってくれてありがとう。

軍記の名前は「由佐長曾我部合戦記」だよ。

出典は>>580の通り。

現代語訳は「香南町史 生活と文化・資料編」のpp.386-398。

国立国会図書館なら書名とページがわかってればコピーして送ってくれるけど、

香川県立図書館はそんなサービスはなかったかな。

手元にスキャンデータあるから送ってあげたいけど、

匿名掲示板でうpするのは著作権云々であれなので自粛しますね。

なんか今読み直してたら、元親の末の弟だったかもって気がしてきた。

606 人間七七四年

四国の人は大野川合戦祭行くんかな

今年は11/14(土)やって

長宗我部家、十河家の方々は例年通り参加するみたいだけど

仙石家の方とか来たことあるんかな

607 人間七七四年

>>606

これは信親が死んだ時の戦?

それとは違うん?

608 人間七七四年

>>607

そうだよ

今の大野川の、大分市の街中より少し上流の辺りが戸次川って呼ばれてたらしいね

信親の戦死した「戸次川の戦い」の合戦祭が大野川合戦祭

十河さんに毎年お誘いいただいてて是非行ってみたいけど、今四国にいないのもあってまだ行ったことないんだよね

岐阜に住んでた時に仙石さんっていたから、仙石権兵衛の末裔の方もいそうだね

岐阜から参加だと遠いかな

612 人間七七四年

四国っていうのは流刑地だったからな

それも四国の奥深く 海に面してる成れの果てって感じなのかもね

けど意外と近代化っていうか文明化はしてたようだ

戦国期でも四国四県の石高は軽く百万石越えてたしな

615 人間七七四年

>>612

土佐 10

伊予 35

讃岐 13

阿波 17

80万石にもならんぞ>太閤検地換算なら

元スレ

【河野・安芸】四国の戦国大名 その2【長宗我部】
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1171023765

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